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カテゴリ:きのこ目の日本史
富雄川は龍王山、交野山あたりに端を発する流れで、この流域は原大和を支配していた長髄彦に代表される登美族の本拠地でそれぞれの族長たちの痕跡を伝える登美神社も数多くある。 早朝より、家を出て近鉄北生駒駅に降りたち、長弓寺、そしてそのすこし下流の杵築橋バス停から西へ折れ飛鳥ゴルフカントリーに囲まれるようにして残る王龍寺を巡ってきた。 生駒山東麓はベッドタウンとしてかって爆発的に人口増加した地域で、かろうじて飛び地のごとく残る寺社が2000年の時空の歪みを垣間見せてくれるとてもワクワクする土地柄だ。 毎年の正月にご開帳となる十一面観音を本尊とする長弓寺は、神武東遷神話と、聖武天皇時代の伝承が合成され、それが真弓や登美という地名として残されている。今年のムックきのこクラブでは、富雄川の源流域の交野山もコースに入っているが、今回はいささか足の便が悪く、住宅地を縫って長い歩行を強いられる長弓寺と王龍寺の2ケ所をクラブとは別に巡ってきた。 この2寺は、いずれも境内に入るとたちまちいにしえの時空にスリップインする心地がするのでお勧めだが、とりわけ王龍寺には長年こうしたトポスを巡ってきた僕でさえ驚くくらいの異空間で、帰りたくなくなるほどの好地であった。 真弓山 長弓寺 行基開基の寺と伝えられるこの地は、鵄の村(とびのむら)と呼ばれ神武天皇の金鵄伝承のもどきである聖武天皇の怪鳥退治の話が焼き写しになっており、怪鳥が出没し、田畑を荒らすことから聖武天皇は鳥見をおいて監視させたが、なおも出没するため天皇自らが狩りに訪れ怪鳥を射おとした。そのとき鵄は金色の鷹となって、仏法護持の神であることを伝えたので、行基に命じて十一面観音を彫らせ頭上の仏身をその弓でつくらせ、残りを真弓塚に埋めたという。鳥見あるいは鵄から川の名を鳥見小川、さらに富雄川に、真弓塚からきのこ料理の創士庵さんの所在地名・真弓ができたという。伝承というにはいささかお粗末な内容だが、金の鷹は宇佐地方・香春の神の大神氏による服属伝承の金の鷹伝説につながるし、金鷲行者の良弁をも思い起こさせる。この寺の門前に鳥居がかけられているのも、その際牛頭天王と八王子の宮が建てられたことによる。現在ではスサノオの出雲系ではなく、皇大神宮系のいざなぎ社となっている。ということで、この地に立てば当時の政争の顛末が伝わってくる。ここではフクロシトネタケに似たツチクラゲと出会ったが、このきのこもまた自らの出自にとまどいを覚えているようであった。
長弓寺の参道の鳥居 寺院の山門
イザナギ社 ツチクラゲ Rhizina undulata
長弓寺の本堂とそこに安置されている十一面観音像(寺の縁起書より)
なんとガネ―シャ像も鎮座 ヤツデの葉
寺苑の金雀枝(えにしだ) ガマの穂か?
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最終更新日
2013年05月19日 20時09分08秒
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