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夢みるきのこ

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2015年01月04日
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 この正月3日は、前夜急に思い立って京都の最後の秘境・雲が畑へ急遽足を伸ばしてきた。「一年の計は元旦にあり」と言うではないか。

 この雲が畑は、空海の刻んだ不動明王が本堂に安置され、修験道の磐座が奥の院めく岩峰にあり、賀茂(鴨)川の最源流部にあたる志明院を筆頭に、惟喬神社、石清水八幡宮の豊蔵坊にあった秀吉の守護仏・十一面観音や阿彌陀坐像を安置する福蔵院。惟喬親王の隠棲の地であるとされ、親王自らが写したとされる般若心経600巻を蔵する高雲寺、厳島神社などを擁する桟敷ケ岳の山懐。

一年の計を立てるにふさわしい場所である。 

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        惟喬親王の愛育した雌鶏を葬った雌鶏社という異名をもつ社

  近年まれな豪雪に見舞われた洛北の地は膝までの雪。この地はかって1日7本走っていた京都市バスが廃止されたのちは弥栄タクシーが代行し、1日2往復、定員9人の「もくもくバス」が走っていると聞き、地下鉄・北大路駅へ。

 この大雪にもかかわらず、運行してくれるとのことで、実家が雲が畑にあるという京都在の母娘とともに雪道を、スリップ、滑走しながら「もくもく」ならぬ「悶々」状態のバスに同乗して向かった。

 近年まれに見るなんともうれしくなる山行であった。

 終点の岩屋橋で放り出されると、惟喬神社隣の料理旅館の畑嘉(はたか)から、あるじとは思えぬ正体不明の人物が飛び出してきて、「こんな日にどこへ行くのか」と問われたので志明院までというと、「そこまでならなんとか行けるだろう」と。「そばがあるなら帰りに立ち寄るぜ」と言うと、「よし委しとけ」とばかりにもどっていった。

 2時間余り志明院で雪遊びをして帰りに立ち寄ると、女将が出てきて、鍵をさした玄関を開けてくれ、温風機と炭火の火桶であらかじめ温めてくれていたこの料亭でも最高の部屋に通され、赤貧の僕は天然なめこそば800円也を賞味した。

余り申し訳ないので熱燗1本を追加注文して京都人のおもてなしの心に感謝しつつ別れたことである。

 亭主らしき主は居たが、別人なので、客引きめいたあの人物は、一体全体、この料理旅館とどんな関係だったのか謎のままだ。

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帰路に出会ったナンテンのカーマインと四十雀の一群は、この日の雪景色の中の唯一の華であった。

 志明院では、遠方から車で訪ねてきた2組の檀家?の人たちが居たが、すべて社務所で足止めを食っていた。しかし、僕が「もくもく号」でやってきたと知って、立ち去りがたくしていると、本堂と飛龍の滝より奥へは行かないことを約束した上で、特別に許可をもらった。

赤字覚悟でボランティア営業している「もくもく号」の威力である。

 そこで本堂周りで雪掻きをしていた住職とも挨拶を交わし、社務所へもどると茶菓子の接待まで受けて、磐座と加茂川最奥部の滴りのある場所へ行くのなら、石楠花の頃に来なさいと言われたので、そうすることを決めて下山。

 さて、これからたそがれを経て13番目の月を見つめながら夜まで、北大路へ向かう1本道を途中の寺社に立ち寄りながら、ウイスキーとナッツチョコレートを友の雪中行軍こそが実に爽やかで、久々に蘇生(生まれ変わり)を実感したことであった。

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                      志明院の山門

 

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                福蔵院の千手十一面観音

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 この雪しずる雪深い府道に迫る崖に点在する院や社をたどる道行は痛快そのもの。

 この延々とつづく雪道を踏破しながら、惟喬親王に連なる山の民や木地師たちに思いを馳せ、僕はこれまでの山屋人生を反芻し、僕自身常民ではなく非・常民であることを再確認することしきり。

 きのことは畢竟、「奇の子」であることにはじまり、ちょっと背伸びを続けて「貴の子」を目指す、常民からみれば常に「鬼の子」でしかない存在。宮澤賢治の『春と修羅』の修羅そのものだと感じ入ったことだ。

 きのこには、過去も未来もなく今日唯今しかない。このことの自覚と徹底こそが僕の唯一の生きる意味だと心に刻んで山を降りてきた。

 そこで忘れぬうちに。

 今年以後のムックきのこクラブの旅は、益々辺境をめざし、交通費だけでもバカにならない負担増なので、

1. 恒例化というより因習化しつつある下山後の酒宴は、新しいメンバーが参加した場合の歓迎の宴に限り、山中の持ち寄りの酒で出来上がるようにし、下山後の最寄りの駅付近では、珈琲かお茶で気分を引き締め、次の逢瀬に期待する握手を交わし、少しでも早く帰途に着き、ムックでしか体験できないその日の一期一会の山旅の印象を胸に深く刻みこむことにする。

 高校時代、山旅では水を飲むことを極力控えるように教えられたが、それが全くの根拠のないことは、その当時から疑い、乾いたら水をがぶ飲みし、飲酒も同様として実践してきました。歩行中の飲酒は、心臓疾患のある人と体質的に酒が受け付けない人以外は健康そのものの行為だと僕は思っています。それはこれまでのムックきのこクラブの旅が証明してきたことです。酒は適度の運動と汗をかきながら山中でこそ呑むもの。アセトアルデヒドを発散することなく身体に溜め込むだけの平地で呑むものではないことを肝に銘じましょう。

2. 上記に関連して、観察ではなく直感によるきのこ把握というきのこ目の精度アップと、それを日々の起き伏しにも応用し、生きる刻々をすべて表現していく努力にこそ心を砕くメンバーの涵養を強化。

3. 太陽と月のリズムを日常のあらゆる局面にこれまで以上に意識的に取り入れ、自身のバイオリズムを野性状態に近づけて行く。

4. 地球生態系の最底辺を占める菌類、とりわけその生活史のほんの一部の時を地表に顔をのぞかせるまさに地蔵そのものの大型菌類・きのこの不思議な生態を再発見しつつ、グローバル化とは似て非なる、多元的な世界を受け容れるもうひとつの国際感覚を有したきのこ人の育成に努める。

といった目的を達成するための旅としたい。

 そんな意味で、僕はこの元旦から2日にかけて、賀状に替えて久々に僕が同行者(スプートニク)と考えるムックきのこクラブの同人・支援者に向けて20通余りの手紙をしたためました。これがきのこ暦第4期へと向かう僕の盟友ということになりますか。

 この両手両足の指の数に等しい20余りの人たちを核にして第4期8年にふさわしい見事なきのこを打ち上げる準備をはじめたいと思っています。

 僕は88歳まで現役で生きる決意を固めていますが、僕も「木の子」以前に「人の子」、いつポキッと行くとも限りません。しかし、遥かな前途を思うと力が湧いてきます。生きるということは青春を持続することですから。

 さて、どんなきのこができるか、行き当たりばったりの僕のきのこ人生のすべてを賭けていよいよ動き出しましょう。

          きのこ夢幻 (1)0001.jpg

 僕がきのこというものに託してきた思いは、図らずも盟友の1人が捉えたきのこ夢幻の図像に限りなく近いものです。

 きのこ星雲時代に初めて開いた写真展「きのこ夢幻」展以来変わらぬ思いこそが僕の真正きのこイメージであり、それを図像化すれば、太陽光がカメラレンズのフレアで奇跡的に生まれた残像のようなもの(画面中央やや右のRED CAPとBLUE STOCKINGのMUSHROOM)。

 これに向かって見果てぬ夢を紡いでいくのですから大変なことには違いないですね。






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最終更新日  2015年01月04日 22時20分41秒
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