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カテゴリ:ヘテロソフィア・アート
このきのこはおフランスの言葉で「死のトランペット」と呼ばれるクロラッパタケです。 これまでのきのこファンはきのこに魅入られてしたり顔になってきました。オタクたちは「菌類学のために」と研究対象にしている人でさえ、きのこと微生物学としての菌類との間には深くて暗い河があることを忘れて、きわめて特殊な世界と繋がりをもつ自分にうっとりして、一般の人から「ちょっと変ね」と言われる度にいっぱしの満足感を得てきました。 きのこに魅入られ、憑依されることに選民意識をくすぐられてきたのです。 しかし、一旦野山に出かけると、そんな人たちにかぎって、シイタケ一つ同定できないのです。昆虫や植物と異なり、名前のついたきのこはたかだか3000種ほどですが、自然の中で目に触れるきのこは、中国、韓国、ベトナムなどの同じアジア人と日本人を区別するよりはるかに難しいのです。 それを僕は、きのこに憑依されて喜んでいる能天気ぶりにあるとみてきました。 そんな時代は本当はもうとっくの昔に終わってしまっているのですが、いまだにきのこ・キノコ・奇の子と、きのこにとり付かれてうわごとをいっているのが現在のきのこ情況です。 『アラビアンナイト』の<アラジンの魔法のランプ>こそがきのこだ。と言えばもっと分かりやすいかと思われます。 ランプの精とは、お金であり、核利用の原子力発電所であり、核爆弾であり、デジタルの単純明快なゼロ・ワン思考が支配するグローバル世界の欲望そのものです。 曖昧な領域を度外視しても世界は把握できるとデジタル社会の担い手は皆、そううそぶきます。魔法のランプのランプの精は、ランプをもったものの命ずるままに動きますよね。 そんなデジ呆けの少数の人たちがランプを持った姿を想像してください。身の毛もよだつ思いがしませんか。現在わが国が置かれている状況はそれに近いと思います。 ひるがえって、超アナログの個々の人間は、そんな世界にぐるぐる巻きにされながら、イチ抜けて行く方法を野性のきのこに学ぶほかありません。 きのこの驚異の力。それは、ひとつ間違えば善にも悪にも転びうる危うさを秘めています。 きのこに魅入られたなんてうっとりしている時代ではもはやありません。 スーパーきのこ時代とはそんな危うい時代の先駆けなのです。 この危うい時代を、地球最後の征服されざる野性生物・きのこを学ぶことにはじまり、きのこに学ぶことでかろうじて生き抜こいていこうという魂胆こそが、ムックきのこクラブの存在理由です。 核兵器に対するに水鉄砲で立ち向かうように見えますね。でも、きのこをなめんなよ。 野性のきのこは、人間と同様に両義的で危うい存在です。この何ともはや、ナイーブなペニス。これが、マダラ―ノフがきのこを面白いと直感し、つきあってきた唯一の理由です。 未曾有の危機意識をもって水鉄砲に等しいきのこと遊ぶ中で、いわゆる「おいしいもの」の嘘を見抜く直覚力を身につけてほしいものです。 そのときはじめて、目の前の曖昧そのもののきのこの区別が噛み分けられるようになりましょう。 原子爆弾の雲を遠くに望めばきのこ形にみえることからきのこ雲と言われてきました。 スーパーきのこ時代とはそんなきのこ雲を他岸の火事のように眺めるのではなく、きのこの形なんてどこにもない暗雲にまみれ、真下から見つめる想像力をもつことなのです。 これはきのこと親しみ、同時にアートや文学の力を借りなければ成し得ません。 飯沢耕太郎さんが「きのこは文学だ」と語ったことの真意もこのあたりにありそうです。
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最終更新日
2015年01月05日 19時30分09秒
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