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カテゴリ:きのこ目の日本史
啓蟄まであと4日の睦月12日。虫たちは、「地虫出ずる日」遅しとばかりに早々と春を届けてくれています。しかし、風はまだまだ身を切るほどの冷たさ。 日本史の中の「きのこ列伝」を構想し始めて4年。 ふと、「加西の切支丹地蔵たちはどうしているだろう」と春日の中で日向ぼこをしながら思い出していた。そんなときまず蘇ってくるのは冒頭の写真の地蔵さんだ。かって雨上がりの昼さがり、広大な畑の中にポツンと残された小さな墓域で出会った六地蔵の1体(左から5ツ目)だが、なんともあどけない表情でこちらを見つめていた。
「播磨風土記」の世界では、まだまだ愉快な地蔵たちに出会えそうな予感がしている。 さて、二月堂のお水取りも盛期を迎えており、島が原の十一面観音ともデートできる日が近づいている。 東大寺の良弁・実忠の若狭とのつながりも少しずつ私の中ではつながり始めており、湖西の鵜川もいよいよ気がかりになってきた。 盛りだくさんの課題。小正月(睦月・十五夜)までには今抱えている課題の1つにきりをつけて、ラッキョウの皮をむくように次々とほぐしていきたいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年03月02日 19時56分12秒
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