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カテゴリ:きのこ目の日本史
湖西を車で走る人は、近江高島の手前でWATER MARKのように湖上の鳥居が目に入ってくる。 これが白鬚神社の鳥居である。JR近江高島駅界隈の勝野集落は古来より若狭街道が琵琶湖に突き当たるところ。古代の要衝の地でした。
白鬚神社本殿 かって近江今津に3000坪の日本庭園付き豪邸を日本キノコ協会に無償貸出してくれた会員がいて、四季通い詰めたことがありましたが、その途次立ち寄った白鬚神社はとても荒れたものでしたが、今は立派な社殿に生まれ変わっていました。 2年前、良弁・実忠の謎ときのためにこの地を訪ねたいと思いながら果たせなかったので、ムックきのこクラブが第4日曜に変更になったのを幸いに、飛んでいってきました。 ここは、鵜川というキーワードのみをたよりに、「泰山寺大根」で有名な安曇川(あどがわ)の泰山寺野をひたすら歩き、あてどない良弁の痕跡を訪ねる旅。独りでないと不可能なところ。 結局、比良おろしの吹き抜ける沖積平野を20km余り、ランドマークの寺、神社、墓地を手あたり次第のぞき、古代の当地の賑わいをイメージしながら、納得いくまで歩き倒し夜遅く帰ってきました。
起点を玉泉寺・田中神社。終点を白鬚神社・鵜川四十八体仏と決め、朝から晩まで歩いて、出会った人は数人きりという人間(じんかん)密度の超希薄な平野を流離ってきました。
白鬚神社から数百メートルのところにある鵜川48体仏は圧巻でした。
僕がようやく辿り着くと阿彌陀さま同士何か耳打ちしている様子が印象的でした。
こんな思案に暮れた表情の阿弥陀様も。彼らにも悩みはあるんだという安心感がこみ上げてきます。 春先のキノコたちもアミガサタケ以外は勢ぞろい。梅は紅梅・白梅・蝋梅。土筆・蕗の薹。 鵜の鳥にまつわる良弁が導く若狭の鵜の瀬・近江の鵜川・大和はお水取りの二月堂と三重の島ケ原。この一日のお蔭で、僕の中ではようやくメビウスのリングがつながってきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年03月10日 21時05分45秒
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