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カテゴリ:ヘテロソフィア・アート
画伯作品画題。左より「思い出すなぁ」「あの時はあの時で」「覚えていること」「これってあれですか いえ絵です」「触れてください」 ここ数年来、澤山画伯はさまざまな新しい作家たちと出会い、まさに水を得た魚状態が続いています。僕にとって氏は、きのこと生きもの世界の同伴者であるのみならず、さまざまな接点で刺激を受けている人生の盟友です。 日本画という縛りの多いジャンルの伝統絵画の世界で、画伯と呼ぶにふさわしい試行を重ね絶えず流動する自由な画境を開拓してきた澤山輝ちゃん。傍目で見ていてもその立居振舞は実に痛快です。画題も遊び心満点で、僕も画題に促され恐るおそる触れてみました。 それは、岩絵の具の凹凸と言うよりなめした魚皮の感触が指先に残り、とても不思議な感覚を抱いたものです。
今回の川西美術協会有志8名展。以前画伯と二人展を開催した丹羽善二さんも画伯作品の隣に仲好く並んでいて、近年とみに画伯の感化もあってか、光の粒子にこだわり続けています。
丹羽さんの作品5点。
これまで繰り返し書きつらねてきた丹羽作品の究極の姿とも思われた「静」
そして、今回はずっと以前に川西市美術協会展でたしか画伯の作品と並んで観た記憶のある小林くみ子さんの銅版画が並んでいました。これがまた素晴らしかった。微妙な光の質感?を見事に捉えた作品で、思わず目が点になりました。柔らかい光が硬質の素材を優しく愛撫するかのように包み込むモノクローム作品ですが、この作家の技量には改めて驚きました。
こうして丹羽、小林、澤山の三者は、それぞれ全く異なる地点から自身の作風を磨き、川西市美術協会展という共通の場で奇しくも「光の三部作」として僕の前に拡がっていたのです。 近年画伯が胡粉を多用した作品をものしてきたこともあって、僕は「白の時代のはじまりですな」と語ってきました。 それが氏のまぎれもない心の叫びであったことがここにきてようやく合点できたことです。
仕事の合い間を縫って滑り込んだ会場で足早に作品を観てまわりながら、三者の作品をカレイドスコープをのぞくように眺めながら、ふと「光あるうちに歩みなさい」との聖書の一節が口を突いて出ました。 と同時に、画伯の近業は、光を求めて格闘する日々の中で生まれてきたものであったことがここに至ってようやく合点できたのです。 氏にとっては荊の道も花道、それはまだまだ続きます。益々ご健筆のほど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年07月16日 19時42分22秒
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