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カテゴリ:マダラーノフの独り言
過日8月11日の早朝、思うところあって羽束山を駆け足で巡ってきた。灼熱の日が山全体を焼き尽くす直前の2時間、世塵を抜け、聖書にある「高きに登りて告げよ」そのままに黙々と登る。山頂のやや下には寺院があり、ここから頂上の磐座までのところに僕の大好きな梵鐘があるので、ほしいままに撞いてきた。思うところとはこの鐘のこと。
頂上の磐座越しにみる羽束神社。しじまの中で罠を仕掛ける蟻地獄が、がらんどうの賽銭箱と本殿の間の砂地に口を広げている。賽銭をする習慣はないけれどもコインをひとつ手向けた。
いつものようにツチアケビが出迎えてくれた。ナラタケと共生する無葉緑植物。しかし、僕はこの植物のそばでナラタケを確認したことがない。
からからに干上がった寺坂。まもなくタマゴタケがちらほら顔をのぞかせるだろう。
丁石にまじり、頭でっかちの石仏が虚空を見つめていた。
丁度、中間地点に当たるT字路。右へ取ると甚五郎岳へ通じている。
頂上手前の磐座あたりからみた甚五郎岳。
シーンとした耳をつんざくようなしじま。しかし、ときおりわたしの思いとはうらはらにサワサワと乾いた翅音が伝わってくる。
地蔵がしずかに焦点の合わぬ視線を投げかけている。
インディゴブルーのくちなわが乾いた大地を滑るように走った。
この平和な山塊にも死闘が繰り返されているのだ。ご達者で。
登山口取りつきのところにある薬師如来像。年々虫食いと剥落が著しいが、なぜか心惹かれてきた。僕とは半世紀のおつきあい。当方浄土の主宰者。なぜか南面しているのが面白い。
同じく取りつきにある八王子神社。真夏の端山は僕の王国。神話の主人公になったような気分で満たされる。 神非在の世にあって、この茫漠たる空間は本当に慰められる。 ここまで記したところで、テレビからSTAN GETZのSAXが流れてきた。思わず注目すると、武井務さんという神戸のサキソフォン奏者だった。ニュースの間に流れるNHKのジャズ・ライブはちょっと聞く気にならないのだが、彼は違った。 さて、江戸中期の町絵師の凡々たる人生探査に舞い戻ろう。
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最終更新日
2015年08月21日 19時42分46秒
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