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2015年09月01日
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カテゴリ:きのこ目の日本史

        毛馬 (26)0001.jpg  

    毛馬 (28)0041.jpg

   毛馬閘門辺りからながめた今は河川敷のひろがる淀川

 とある日の朝、蕪村が幼時を過ごしたという毛馬堤に立ち寄ってみた。毛馬から源八の渡し、網島、桜宮、天満橋といった江戸文学のトポスは、すべて指呼の間にあり、驚くほどの狭さである。

 毛馬は農村とはいっても子供ながらも1時間も歩けば都心に出られる距離だ。少なくとも17歳までここに蕪村がいたとすれば、浪花の都市の喧騒とは無縁であるはずがなかろうというのがここへ来て確かめえた僕の結論だ。

 蕪村の中にある都会っ子としての素質は、生涯唯一の師である江戸派俳人の巴人に出会う以前に培われていたものだったのだ。

 その思いを確かめるために毛馬へと足を伸ばしたのだが、その値打ちは充分にあった。

    毛馬 (25)0038.jpg

    この寺は蕪村の子供時代にはすでにここにあったようだ。

    毛馬 (13)0025.jpg

 この淀川神社(旧称・十五神社)に至っては創始は平安時代にさかのぼるという。そのほか八幡神社もあったという。

 水田風景と菜花畑とばかりと思っていたが、寺があり、神社もありで本当に驚いた。

    源八の渡し (3)0003.jpg

 冒頭の淀川が分岐して新淀川となり、毛馬からはほんの1丁ほどの距離に源八の渡しがあり、すぐに天満橋となる。写真上が源八の渡し付近の映像だが、蕪村についての考えを改めるに充分な土地柄。

 






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最終更新日  2015年09月01日 15時18分56秒
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