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2015年09月04日
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       牛窓 (63)0001.jpg

      かっての賑わいが嘘のようなとてもひなびた漁村の牛窓

 兵庫県の赤穂を越えて、岡山圏の瀬戸内海に差し掛かったところにある風変わりな名前の牛窓。この地ははじめて訪れてみて、思わぬ拾い物をした。

 それは百済の亡命貴族らが主流を占めた我が国の奈良朝以来、統一新羅で染まった朝鮮半島とは今日にいたるまで仇敵の関係になったのだが、その敵対関係が嘘のように氷解したのが、徳川時代だったらしいこと。

 鎖国にはじまった徳川幕府の江戸時代に、唯一我が国が門戸を開いて国交を続けた朝鮮通信使のことを、この牛窓の海遊文化館が実に詳細に伝えていたのだった。

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  朝鮮通信使との関わりを伝える海遊文化館と凄い情熱を感じさせてくれるガイドさん

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 そして、この文化館のキューレターに相当するガイドさんの滔々と語る目からうろこの話はとても参考になり、わがムックきのこクラブのスーパーきのこ時代の新たな課題につながるヒントを与えてもらった。

 鎖国時代の幕府の対外政策はオランダ、中国、ポルトガルなどの長崎の出島を通しての対貿易通商については教科書に詳しいが、それとは全く別に秀吉の朝鮮出兵の際に連れ帰った捕虜たちの返還に始まり、文化交流をメインとする通信使(よしみを通じるという意味らしい)を迎え入れる行事を、徳川の300年の間に10数回、對馬藩が受け口となって実現したということは日韓関係の今後を考える上で、もっと明らかにすべきだと思う。

 今年の初夏に滋賀県の野洲で歩いた朝鮮街道のことが、ここ牛窓に来てひょんなことからつながったのには実に驚いた。 

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    茅の輪くぐりの最中の牛窓神社でお宮参りの人達と混じって僕も無病

     息災を祈ってもらいました。

 駆け足でめぐった牛窓だが、海洋性の照葉樹林の残る岬の牛窓神社ではキクバナイグチ、ヒラタケ、コテングタケモドキ、また丘の上のオリーブ園では今年ようやく顔をみせたコカラカサタケにも出会うことができて大満足だった。

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       コカラカサタケ

 夜はフェリーで5分の前島の唐琴荘のご主人のご好意で、ウミホタルの観察までできた。

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      牛窓フェリー

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     甲殻類のウミホタル

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    攪乱するとごらんの通り光を放ちます

 またこの地の詳しい情報は、旅ねすのガイドであらためて紹介したい。






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最終更新日  2015年09月04日 20時44分44秒
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