|
カテゴリ:きのこ目の日本史
浄土真宗・本願寺派の九條山「浄教寺」。何気なく見上げた寺瓦が菊水紋なのに興味を覚えて、見上げていると通行人の男性が、「この寺はソテツが有名だからそれを見ずに帰っては男がすたります」と一言言い捨ててすたすたと去って行きました。
そうでなくとも、入るつもりでしたが、ぽかんと口を開けて夕間づめの境内で上弦間近の月を眺めていますと、門徒の信者さんが何か催し物の掲示をしていましたので、「何故に瓦煎餅の紋を戴いておるのでしょう?」と聞きますと、恥ずかしそうに答えてくれました。 第六世の円誓(えんせい)の時代に楠木正季(くすのきまさすえ)の子息の正忠(まさただ)が初陣の際に深手を負い、円誓の養子となってこの寺で出家したことから、南朝の後醍醐天皇(光明院帝)の勅願寺となって、それ以来寺紋を「菊水」としたらしいのです。 この菊水紋がなければ袖触れ合うこともなかったお寺ですが、そこはかとないご縁ができちゃった次第です。
それに桃山時代に庭木として中国あるいは沖縄からもたらされ、江戸時代ちょっとしたブームとなった蘇鉄は、寺がこの地に移築されたときに植えられたというもので、1603年頃のこととされますので、人間でいえば色ぼけ老人クラスの雄株ですが、かなりギラギラつやつやの若々しいお姿をしておられました。 1本の株から大小合わせて25本の幹を持ち、高さ5.5m、根株の周囲6.5m、もっとも太い幹は直径1.5mもあるそうです。
おまけに寺苑で芭蕉の花穂にも出会い、八重の枝垂れ桜、インドからもたらされた扁平足で土踏まずのない仏足石まで拝むことができました。「この御御足でよく方々ほっつき歩かれましたなぁ」と釈迦牟尼にご苦労さんと掌を合わせてピーピングきんちゃんも次第に敬虔な心境に・・・。 時間が遅かったので湯茶の接待こそありませんでしたが、興にまかせて土足でどこでも入っていくとこんな発見もあるのです。なんまんだんぶぅぅぅ合掌。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年09月25日 23時10分29秒
コメント(0) | コメントを書く
[きのこ目の日本史] カテゴリの最新記事
|