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カテゴリ:マダラーノフの独り言
行基建立の幻の天地院跡探しの旅のはじまりに 僕は哲学を音楽を聴くように味わってきた。それは、サルトルやボーヴォワール、カミュ、ニーチェ、キェルケゴール、バタイユなど実存主義につらなる人達の言説を高校時代にジャズ喫茶やビリアードに興じながら読み漁ったことと関わりがないでもない。それらは当時の僕にとって、なんともお洒落だったのだ。だからいつまで経っても哲学の門外漢のままだ。 僕の無意識は、しかし、どこか、なにかその当時から反(=Anti)に惹かれてきたように思う。とりわけ反権威には心底憧れた。 僕が思春期に親しんだ実存主義の流れが「哲学を馬鹿(コケ)にすること、それが真に哲学することだ」(『パンセ』)といった小粋な言葉を残したパスカルや、『道徳の系譜学』を著わしたニーチェをその源流域に置いているのはさもありなんという感じがする。この実存主義の流れは、流行すなわち当時の最新モードであって思想なんてものとはちょっと異なる。 でも僕は流行こそが、不易に通じる権威、既存の世界へのアンチであり、逆転の繰り返しだと思ってきた。
岡本某氏の手すさび作品 西欧哲学の二元論的な知の体系は、プラトンにはじまりデカルト、ヘーゲル、そしてなんとマルクスや現象学にまでおよんでいる。そこでは、ロゴス(=言葉、神知、至高の理性、論理、合理性、意識など、もちろん話し言葉も含まれる)が真理を保証する根拠として提出される。この唯一絶対者と私という二項対立こそが一神教世界の絶対的な論理構造である。理路整然とした語り口には嘘があると感じるのは間違いではない。それはロゴスそのものが自己実現を果たそうと作動してしまい真理を隠蔽してしまう。 大学闘争のさなかに、宗教論にはじまる初期マルクスを読んでいて、わが国の思想の流れは「真理である神と私の2項対立に終始する直線的で単純明快なものでは決してありえない」と思い、西欧とは異質の体系である文化装置としての天皇制と向き合うことの方が急務であると考えてロシア研究から日本へ逆戻り。神道・仏教・宗教と天皇の古代史の森に分け入り、脇道に逸れ、趣味生活のすべてが、あらゆる権威的なものからの逸脱と寄り道の人生がはじまった。 それはやがて、宗教文化において、物事を直線的にしか見ることのできない一神教に対して、すべてをらせん運動のダイナミズムに転換させる多神教的なもの、あるいは三項対立、多次元交換という形を取り始めた。 この優柔不断で女々しく、曖昧模糊とした矛盾に満ちた円環世界は、グローバリズムの中では敗者につながる考えだが、むしろその敗者の論理こそがこれからの狭い地球には求められていると考え始めたのだ。
ジャズを聴くようにかかわり続けてきた西欧知の世界。大学闘争の興奮もくすぼるままにたそがれどきを迎えた頃、哲学の世界の流行はM.フーコー、G.ドゥ―ルーズ、J.デリダなどの反哲学の流れが主流になってきて、デリダくんの「脱構築(=ディコンストラクション)」という言葉に出会ってまたまた興奮しちゃった。 彼は『エクリチュールと差異』の中で脱構築に触れ「哲学者の通った道をそのまま辿り、そのやり口を知り、その詭計を借り、その持ち札で勝負し、思うがままに策略を繰り拡げさせておいて、実はそのテキストを横領してしまう」とまで言って、パスカルがかって述べたすべての権威につながる西欧知の体系そのものを徹底的にコケにしてしまった。 「こんなことを哲学者自身がいうことは究極の自己否定で、哲学の権威とか伝統に激しく抱擁したまま自分というものをも無理心中させてしまうほどの究極の虚無思想だ。すでに東洋思想を超えてしまっている」と感じ、「西欧世界はここまで行き詰っているのか、いよいよ凄いところまで来てしまったな」と思い知らされると同時に、ある種痛快さを覚えた。 そのデリダくんは、自分の言っていることが結局どこへ行きつくのかも熟知していて「脱構築の試みは必然的に内部からの働きかけとなり、逆転のための戦術と力とをすべて古い構造から借りうけるため、それも構造的につまり要素や原子を分離せずに借りうけるため、ある意味では必ずみずからの仕事の犠牲にならざるをえないのである」なんて自身の営為の顛末を予見するようなことまで軽々と言いのけてしまっていて、益々凄いと思ってしまったのだ。 そうした、わが国近代の手本となった西欧思想の徹底的な没落を横目に、極東の島国の文化に目を落としはじめてしばらくして、あらゆる絢爛たる言葉の世界からはみ出た生き物が野に山に、そして街のど真ん中に、あっけらかんとすべてを笑い飛ばすように頭をもたげているのに出会った。 それがきのこちゃんたちだった。これには心底参ってしまった。それはあらゆる権威から果てしなく遠く、言葉なく、うさん臭く、あわれなほど無意味で、猥雑そのもの。しかも何もまして美しかった。 それは、アンチであまの邪鬼の僕にとっては当然予定された出会いだったと今思い返している。
洛北大原の里のはずれの山寺で出会ったきのこちゃん ちょっと背伸びの庶民(=世にいう知識人からも厳密に距離を置く)でありつづけよ!と、逢う人毎に言い散らしてきたのはそうした事情がある。 権力とは金力、結局は拝金主義でしかない政治からもちょっと距離を置いたポジションを保ちながら、きのこたちと出会う旅を続け<きのこ目>を磨くことを怠らず、冷静に世界を視つづけ、精一杯そうした生活を新しい文化モードを持ったアート表現として訴えて行こうと呼びかけて30年。すでに僕の道草人生もうさん臭いまま、たそがれ時を迎えている。 さて、もう一勝負したいところだが、その前にきのこちゃんたちとのデートの約束をとりあえず果たしましょうとせっせと道草喰って終わりそうな予感。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年10月13日 21時04分03秒
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