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カテゴリ:ヘテロソフィア・アート
大阪の日本橋のはずれにある御蔵跡通りは、古き良き時代の難波の名残りを色濃く残したところ。会場を探しがてら暮れなずむ街をぶらつきこの町のもつ風情を満喫してきた。 今回このギャラリーを訪ねたのは、友人の森崎恭範くんと佐古馨くんが依拠している現代アート集団「ぼんくら」の活動の一端にふれるためだった。トリポッドとは3つ足の意味なので、3人展といった意味だろうか、佐古馨、樋口尚、森崎恭範の三作家の作品が部屋いっぱいに繰り広げられていた。
漆にはじまり、木地師的な仕事から陶芸までを手広くこなしてきた佐古さんの耐火煉瓦の脚に乗っけた鉄と樹木の作品。恭範さんの赤染めの段ボールの毛氈と、宇宙塵のように浮遊する段ボール製の塊。樋口さんはまだお会いしたことがないが、ぼんくらの同人だという。彼の作品は、光波を思わせる壁を覆う模造紙の処々に扉がひらけていて、見る者を彼方へいざなうような、そうでもないような作品。 僕は、アート作品というものはその作家の存在の虚実のバランスが生み出すぎりぎりの背伸びが基本だと考えてきたので、この部屋に座してしばし沈思黙考して作品の語り出す言葉に耳傾けてきた。 作品として、かろうじて言葉を発しているのは佐古さんの作品で、恭範、尚さんの作品は、言葉が曖昧でいささか歯がゆさを感じた事である。 やがて、会場へたどりつかない僕を迎えに出ていた恭範くんが帰ってきたので、連れ出して「もつ鍋」をつっつきながら、感想を語ってきた。 人間というものはどうしようもない生き物で、僕らは皆、自分を持て余しながら生きるほかないのだが、その一瞬一瞬をぎりぎりのところでバランスをとりながら生きている。 誰に頼まれたわけでもなくアートという魔力に手を染めてしまったアーティストとは、少なくともそれを自覚し、その折々の切実な思いを身体を張って表現している特異な人たち、すなわち異人さんなのだ。実生活から少しばかり浮遊してして自分と世界をあらゆる方位から見つめ続けている現代の観音さま、あるいはシャーマンとでも言えようか。
僕が島ケ原の秘仏・十一面観音に出会い言葉を喪うほどの感動を覚えたのは、そんな厳しさを全身から発揮していたからだ。お手軽な救済など決して口にすることのない、しかし、それぞれの心を瞬時に貫くことのできるするどい慈愛の表情。 恭範くんが、トリポッド展の搬出の日にも関わらず、島ケ原を優先させたのは幸いだった。おそらく何かをしっかりと受け止めて帰って行ったことだろう。
また、ムックのオプショナルツアーとしてそれぞれの人生の途上にて、こんな又とない機会に恵まれた人たちは、雨に終始した立冬の一日をおのがじし愉しみ、生活の現場へと帰って行ったことは、これから折に触れしばしば思い出すことだろう。 僕にとっては秘仏もさることなから、島ケ原の村民芸術集団のみなさんと触れ合うことができたのも大いなる収穫であった。
アートという紐帯でむすばれた新しい形の農村青年団ともいうべき村民芸術「蜜の木」は、2013年に結成。ネットワーク、思想、村をフィールドにした文化プロジェクトの企画を手掛け、2015年の本年は観菩提寺の正月堂で毎年の2月斎行される修正会の際に、正月堂客殿で「蜜の木講」を結成して参加、その頭角を現したという。 このルーツとなる人物が島ケ原で郵便配達夫をしながら絵を描いていた河村重雄で、彼は私財を投じてアトリエを建て絵好住(エコノミークラス)と名づけ、公民館的役割を担わせるべく活動を開始した矢先に逝去。そのアトリエを継承した岩名泰岳が河村の遺志を村の若者たちと実現すべく結成されたのが「蜜の木」らしい。
澤山画伯に一脈通じる作品にもこの日出会いました。 僕には、このアート青年団に宮澤賢治の羅須地人協会とその農民芸術のニュー・ウエーブを感じ、とても興味深く思って世話人の若い方としばし語り合ってきた。 昼食の場を見ず知らずの我々に提供してくださり、ご自身は、終日手抜きを一切しない七五三の神事を斎行していた鵜の宮神社の勝矢重徳宮司といい、この「蜜の木」アート青年団といい、島ケ原は、僕にとって新しいコミュニティとなりそうな予感がしている。
2年前、月が瀬詣でのついでに宵闇の中、当地を訪れた際、チャリダーのガッキーちゃんと2年後ここで会おうと約したまま、彼女は青雲の志を抱いてタイへ旅立って非在につき、一時帰国の際にもらって使わずに置いてあったマンゴーソープを彼女の形代に持参。中央の美人アーティストにそれを掲げてもらってふたたび記念撮影。ムックきのこクラブでは、記念写真はよほどの場合以外撮らないので貴重きわまりない映像だ。 それにつけても、♪おやつはカール♪、いや違った、ガッキーちゃんは生きているのかな?。 かっては陸の孤島であった島ケ原は、天武帝の奈良時代より歴代、十一面観音を数体擁し、古代より祈りのネットワークの基地(センター)としての役割を果たしてきたところ。 21世紀の神なき時代、ネット時代の日本にあっては、島ケ原は、最もパワーのある可能性を秘めたトピックスを発信するトポスとなるような気がしている。
僕の前にも後にも道らしき道は全くないが、島ケ原には線路が続いている。 トリポッド展と、蜜の木の文化プロジェクト。奇しくも十一面観音を挟んで二つのアート展を渡り歩いてきたことも何かのご縁であろう。 かくして「線路は続くよどこまでも」の歌の通り僕の人生は続いていく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年11月10日 19時15分19秒
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