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カテゴリ:きのこ目の日本史
去年の1月訪ねた椿寺で出会った蕪村の養父にして師の宋阿(巴人)の墓。北野天満宮の近くにあります。 其角・嵐雪の弟子であった巴人は、晩年若い蕪村を伴い江戸へもどり日本橋のほとりで没しました。その墓が江戸ではなく京都にあるということは意外ですが、巴人(宋阿)の弟子たちが建てたものと思われます。蕪村はそのため江戸座の俳諧に親しみ、死ぬまで東(あずま)ぶりを手放しませんでした。それが時代を超える俳諧作品を生む原動力になったように思われます。 蕪村は讃岐へいくおりにも北野天満宮へお参りしたと記録にありますが、おそらく宋阿の墓に祈りを捧げにいったのだと僕は思っています。 さて超凡人の蕪村。全貌は全く茫洋としてつかめませんが、少しずつ断片的にメモをはじめましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年01月15日 23時09分28秒
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