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カテゴリ:ヘテロソフィア・アート
何もないということがこんなにすがすがしいものかと思われるほどの空間が高名な建築家によって建てられた施設にひろがっていました。もちろん大拙の年譜、業績、図書など完備されていますが、無視できるものです。 金澤に着いてまず訪ねたのが、こちらでした。 金澤の縮図。九谷焼、金銀箔にはじまる絢爛豪華で息苦しい装飾美術は、この地方独特の雪模様の空そのもの。しかし、その一方でそんな雪空が一瞬遠のきあっけらかんと淡いブルーの空がのぞくような・・・。都心の片隅に自然と溶け合うようなこうしたほっと一息つけるような世界が併存している。 有用と無用。これらが亀甲模様のように精緻なまでに組み合わされているのが金澤で、それらが総体として無用の用を小声でつぶやいている。金澤の町をぶらり歩きすると、これがこのこじんまりした城下町の魅力だろうとさえ思えてきます。 兼六公園は今回もまたパスしました。金澤でなぜかあまり触手が動かない場所の筆頭なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年01月17日 00時02分14秒
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