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2016年06月01日
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                      金勝寺連山の旅 (73)0097.jpg

 磨崖仏の極め付けは金勝山(こんぜやま)縦走のあと出会った狛坂廃寺のものだ。今や陸の孤島と化した湖東の山懐に高さ幅ともに6m前後の岩肌に3mの如来坐像、両脇に2m強の菩薩立像を配し、その上部には三尊像2組と3体の菩薩立像を半肉彫りにし、隣り合う岩肌には三尊仏1組を彫り上げた素晴らしいもので、荒廃した廃寺跡の木下闇を抜けたところで突然対面したときにはドギマギした。

 この西端の金勝寺別院にあたる狛坂寺から東端の金勝寺をつなぐ金勝山塊こそが良弁の率いる薬草金属採掘集団の本拠地だったと推定される。

      金勝寺連山の旅 (42)0063.jpg

 この山塊は、信楽、笠置山、恭仁京を南方に接し、稜線伝いに行けばすぐの距離で、笠置から柳生街道を南下し春日山から平城京へと続く原始修験者たちの活動拠点だった。彼こそが、聖武天皇の天平期の施策に影のようにぴったりと寄り添い、反政府勢力とみなされていた行基を仲間に入れ、天皇の理想国家の実現に奔走し、三度にわたる遷都から東大寺毘盧遮那仏造立までを演出総指揮をとった人物なのだ。

 いずれ「月のしずく」で平城京の東山一帯の良弁・行基の痕跡を探る旅で紹介したいが、これら怪僧たちの痕跡は濃厚すぎてニュース形式では、とても全貌をお伝えすることはむずかしいかもしれない。






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最終更新日  2016年06月01日 23時13分32秒
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