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カテゴリ:ヘテロソフィア・アート
10月12日~17日川西市立ギャラリー川西で開かれた表題の美術展は、回を重ねるたびに充実してきており、全国にあまたある河川の西側の町という何の変哲もない市名の中でも兵庫県川西市の存在感を際立たせはじめている。
月のしずくのエッセーでおなじみのアブストラクト日本画ひと筋の澤山画伯の今回の作品は「難聴幻聴ハ長調」。 かってはモノローグの作品がほとんどであった氏が白を基調にした作品を手がけ初めて以来、とみにダイアローグ性を高め、鑑賞者にとりつくしまを与え始めたことは大きな変化である。 個人として世界と向き合う際に、個性的表現は、アイデンティティーを守るために必須ではあるが、ともすれば「わかるものにだけわかってもらえばそれでいい」といった独りよがりの境地に安住してしまう危険性を孕んでいる。近年の画伯の作品からはそんな包茎状態とは一切無縁で誰とでも対話が生まれるパーツがいたるところに散りばめられているのが、実にすがすがしい。毀誉褒貶の彼方の「軽み」の境地に没入しばじめた証しといえよう。 また、営々と街並みの風景を独特の切り口で見せてきた榎原保氏の「忘れてきた学舎」にもパラダイム転換とも言うべき大胆な画風の画期がみられたのもとても印象に残った。 書も多彩ではあるが、岡本峯鈴氏の瀬戸内寂聴の言葉「若き日に薔薇を摘め」はいつもながら独特のリズムがあり好もしく感じた。ぼくには異質な筆致であることがなおのこと惹かれるのかもしれない。 鍛冶ゆうこ「展翔」 羽原一陽「コンポジション」 工芸部門では金工の羽原一陽氏の「コンポジション」が僕の好みに会った作風だし、鍛冶ゆう子氏の「展翔」にはひたすら凄いと思い目が釘付けされてしまった。 「刻のしずく」小林くみこ 同じく、版画の小林くみこさんの作品は、以前「繭」をテーマにした作品に衝撃を覚えたが、そののちも洒脱(しゃだつ)そのものの作風で、観る者を魅了しつづけてきており、僕みたいな朴念仁でさえも、いまでは身内のような親しみをさえ感じさせてくれる。 「刻の魔術」小林くみこ 総じて、この美術展はそれぞれの作家の表現意欲に停滞感をいささかも感じさせない進化の過程にあることが僕にとって身近かながらスリルを感じさせてくれる貴重なアート展となっている。 それは、会場を抜けてちょっとだけ飲み交わした折に画伯がほろりと言い落した言葉に合点した。「集まりのたびに<プロ意識を持ち続けていきましょう>と話し合っていますねん」 当たり前のことであるように見えてなかなか難しい態度。それがこのプロ意識だ。それはもちろん貨幣経済を超えたところで語られたものだが、それは作家魂と言い換えたらもっと分かりやすいかもしれない。秋にはおびただしいアート展があり、時間をやりくりしながら駆け足での回るのが常だが、やはり最低限プロ意識、作家魂の感じられる表現だけが残っていくような気がしている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年11月08日 16時24分50秒
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