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カテゴリ:きのこと発酵文化「月のしずく」
そぞろ寒の日曜日。今田にある薬師湯・ぬくもりの郷に行こうと飛び出したが、アニメ『きみの名は』はさほど興味をそそられないが、『この地球の片隅に』はずっと気がかりでまもなく上映が終るので、途中のマイカルに立ち寄り鑑賞してきた。 戦前戦中の呉を舞台にしたアニメ。とても懐かしさあふれるアニメで、久々に素晴らしい映像だった。 わが国の庶民はこの映画のごとく、時代にあらがうことなくひたすら黙々と現実を受け入れ、その中に喜怒哀楽を見出してきた世界でもまれな国民だということが実によく描かれていた。この人たちの美徳ともいえる現実との向き合い方は美しい。そして私はこの国民性の中に浄土宗の開祖・法然を見つめてきた。仏教をはじめて悲惨きわまりない時代の中で零落していく庶民たちのたましいの救済に開いた人物である。 「あの世」の存在が意味をもたなくなった21世紀の現在、専修念仏の到達点である極楽往生の保証は意味をなさなくなってしまった。だとすれば、この絶望の時代、南無阿弥陀仏の彼方にかって与えられていた魂の癒しと救済はどこに求めればよいのだろうか?。 今年のムックきのこクラブの旅が、法然の足跡をたどる旅と島なみの旅、鎮護国家の仏教を担った原始修験が信仰した十一面観音の旅という3つのくくりでスタートしたのは、そんなヒントをなんとか見出したいという思いがある。 絶望の時代に、私たち庶民はどう向き合っていくのか。これが私の終生の課題だが、そんな意味でも法然は避けて通れない人物だ。 法然の出自の漆間家の紋が杏葉紋(ぎょうようもん)。そして法然の開いた浄土宗の紋どころは、それに月を添えた杏葉月影紋(ぎょうようげつえいもん ・写真上)だ。そうなのである。日蓮が太陽の思想だとすると法然の口称念仏は月の思想なのである。 「月のしずく」でも、水軍の歴史からはじまり、徐々に私たち凡愚の庶民の明日を我が国の月の思想の系譜をたどりながら、明らかにして行きたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年01月22日 21時40分15秒
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