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2017年10月27日
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 心待ちしていた川西美術協会展が始まった。今年は台風21号の直撃で最終日になってしまったが、なんとか滑り込みで間に合いホッとした。澤山画伯は、ご自身の耳が聞こえ難くなっているのを痛く気にしており、ここ数年音感をいとおしむような画風に推移しており、それが作品に影を落としているように感じている。今回もベートーヴェン症候群というべき数年来の連作風の作品「埴生の宿を聴きながら」を発表されていたが、三半規管が錯綜するような図柄だが、それよりも私には。会場導入部に飾られた即興作品のほうがとても気に入った。

     
 これがその作品だが、下の榎原保氏の「愛しきものたち」と並べるので違和感のない作品を依頼されて急遽筆を執ったものだという。「東西東西」と題されたこの作品は、ここ数年来のちょっと虚ろな作風とは打って変わって本来の作風をなぞりながらも、氏の持ち味の精神の底力といったものがみなぎっていてとても好感がもてた。
 やはり、作家というものは他者と接して触発されることによって磨かれていくものだと感じたことだった。これで、ようやく画伯もベートーヴェン徴候群とおさらばできそうだな率直に思った。 

    
 榎原保氏のメイン作品は、執拗に追い続けている失われゆく風景にたいするノスタルジックな画風の「忘れてきた学舎」(写真下)。しかし、この作家の強みは、単にそれを回想するのではなく実に鮮烈な存在感を際立たせる筆致で訴えかけて来ることだ。今回20回目を迎える本展で、10年以上になると思うがこの作家にはとても注目してきた。
  
   

   
 今回、私がとても気に入った作品は、野村志穂さんの日本画作品「秋に想う」だ。モジリアニの絵から抜け出してきたような子犬を連れた女性がとても印象的だ。色使いも素敵で、背中を向けたこの女性、なんとかこちらを向かせたい衝動にかられて幾度も絵の前を行き来したものだ。
       

 若い日本画作家さんの作品では、奥村佳世子さんの「昇竜の門」が青春の気が漂っていて好感が持てた。日本橋の橋に刻まれた阿吽の龍の彫刻を背景にしたという女性像。画龍点睛というが、その点睛がまだ完全に打ち込められていない迷いのようなものを感じたが、それは龍の目がうつろなことに原因があるのかもしれない。(目が点以下の僕のひがみかもしれない)
 
私ども素人からすれば、女性と龍の接点の切実さが鑑賞者にストレートに読み取れないもどかしさがあるのだ。しかし、テーマといい、老成した色使いといい、とても大きな可能性をもった作家だと感じた。


 野老(ところ)掘りという俳句の季語があり、野老山という珍しい名前に接して画伯と話していると作家が登場したので、しばし「気配」(写真下の左)という作品を前にしてお話しする機会を得たが、このカンムリヅルは天王寺動物園で3年越しに通いつめて書き上げた作品という。私たちはすでに若冲という奇想の画家を知ってしまっているので、こうした画風はつい彼と比較してしまうのだが、よく健闘していた。
 画伯の縁とあって洋画よりも日本画につい目がいってしまう。川西美術協会は多彩な作家を抱えていてこれも本展のたのしみの一つとなっている。


   
 そのほか書作品も多彩で、鳥居そうさんの「拂塵」。いつもながらの豪快な書風で毎回楽しみにしているが、今回この方が女性と聞いて益々好きになった。


 ここ数年、幾何学文様のとてもおしゃれな版画作品で私たちを楽しませてくれている小林くみこさん。今回は「いつくしみ」と題された動物画を出していた。
 そのほか工芸作品や洋画作品もみるべきものが多く、ここで紹介できないのが残念だが、本展は新たな可能性に向けて書き継がれていく記念すべき節目を迎えたことになる。今後ますます楽しみな会となってきた。
 画伯をはじめ今回お出会いした作家さんたちの息災と、ご精進、そして本会の更なるご発展を祈念している。



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最終更新日  2017年10月27日 20時55分46秒
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