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カテゴリ:マダラーノフの独り言
月のしずく12号発送のため郵便局へ出かけましたが、小春日の空は雲一つなく飛行機雲が数条よろけるのみでしたので、ついふらふらときのこの森へ足が向いてしまいました。 羽束山のあたり一帯は、その名の通り八十物部(やそもののべ)と呼ばれた古代大豪族の流れの羽束師物部(はつかしもののべ)の定着地。弓矢の矢羽を作る工人たちの工房があったと思われ、この山の北側の木器(こうづき)集落のとなりの市之瀬には磐神社がひっそりとたたずんでいます。その昔は、このあたりにも矢羽の素材となる鷲鷹のたぐいの大型猛禽類がたくさん生息していたのかも。 この神社は私の考えでは、神武東征以前に生駒山の哮ケ峰に天降った物部の祖ニギハヤヒを祭る磐船神社と同じ神格の神社。社殿の神体は舟形の磐座(写真下)となっています。羽束山の南直下の香下(かした)の地名は、豊前の秦王国で祭られていた鹿下神(かしたがみ)に由来するものと思われます。 その本殿脇には、岩根を樹木がしっかりと掴んだ磐座が並んでいます。こちらは時代が随分下って新たにご神体とされたと見え、現代作家による陶製の狛犬と小さな祠が置かれていますので信仰する人もいるようです。 この磐神社は私が三田でも、最も重要視してきた神社で時折気が向けば訪ねてきました。市之瀬集落のバス停脇にはお地蔵さんもあり、人影もまばらでしみじみと心和む空間となっています。 さて、いよいよ森のきのこたちの動向ですが・・・。 2つの台風の後の森は随分荒れていましたが、なによりも気温が下がらないため、自然界では秋から初冬の低温菌が発生する条件が今いち整わず、発生が遅れているようです。 しかし、真冬のベニタケ・カラムラサキハツが顔をのぞかせはじめるこの季節には珍しいドクベニタケRussula emetica の良型と出会いました。ショウゲンジ、ウラベニホテイシメジは皆無なのに晩秋のきのこ・ムラサキアブラシメジモドキはちらほら顔をのぞかせていました。 きのこは通常、写真下のような状態で発生しますので、きのこ写真家の安達ひろみさんや桝井亮さんの苦労がいかばかりのものかを想像していただけると思いますが、自然状態を損なわずに落ち葉や落枝を除き環境を整えて、対象となるきのこを最良の状態で撮ってあげるためには細心の注意と忍耐をともなうお色直しが必要なのです。 近畿圏に残るモミ林を数か所訪ねましたが、1ケ所のみ アカモミタケ Lactarius laeticolorus がアカハツLactarius akahatsuと混じって一斉に顔をのぞかせている光景に出会いました。形状は同じチチタケなのですが、アカモミタケは赤い乳汁。アカハツはハツタケ同様緑の乳汁を出すので区別されます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年11月03日 11時48分54秒
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