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カテゴリ:きのこ目の日本史
坂本のケーブルカーより琵琶湖の竹生島を望む 比叡山にはムックきのこクラブの旅で3度、個人で5度余り登り、歴史とキノコ世界の交差点として思索を重ねてきたが、法然が善導の専修念仏思想に出会い開眼した比叡山最大の難所・黒谷の青龍寺は訪ねたことがなかった。しかも雪中である。この旅は、ここ数年来、法然の御忌1月27日の前後にこそ訪ねようと思い描いてきたことで、寒波到来の報に忌日の翌日の日曜日、いよいよ時満ちたりと即決したのである。 伝法院 まずは西塔を巡拝して行者道を黒谷に向かうことにする。 西塔は伝法院よりはじまる。 ここから谷へ下ると伝教大師最澄の御廟所の浄土院がある。比叡山でもっとも清浄な聖域である。 浄土院(最澄御廟所) 浄土院の脇の石垣には伝教大師を守るかのように繁茂する地衣類と氷雪の結晶たち。 さらに進むと渡り廊下が天秤状であることから弁慶が担ったという「にない堂」の伝承の残る法華堂・常行堂。その奥には恵亮堂があり、転法輪の紋所が際立つ釈迦堂がある。 弁慶担い堂の渡り廊下 恵亮堂 転法輪堂(釈迦堂) ここで、お焼香を捧げ、香りの良い「叡山香」を購入し、黒谷の様子を聞くと、「住職がいないといけないから」と電話を入れていただいた。青龍寺からは「雪がふかく、とりわけ山門までの石段が凍っているので慎重においでください」とのこと。ご親切な釈迦堂の尼のご住職に感謝。 左の樹木の向こうにかいま見えるのは琵琶湖 その釈迦堂の裏山が西塔でもっとも僕の好きな香炉ケ丘があり、鎌倉時代から思惟を重ねてきた弥勒石造がある。ここで持参のコーヒを焙てて昼の小休止。 香炉ケ丘の弥勒石像(僕はこの石像こそが比叡山の要石と考えている) さて、楽ちんの雪中登山はここまで。ここからが大変でした。黒谷道へ降りる取っつきが見つからず、峰道レストランまでのドライブウェイを行ったり来たり。 瑠璃堂(堂名から推察するにおそらく薬師如来をお祀りしているのだろう) ようやく行者道をみつけ瑠璃堂まで下る。 しかし、ここから先は道が途絶えている。あれれ、ぎょぎょぎょ。以前はこのまま進めば青龍寺にいたる道が通じていたはずだったのだが。致し方ない。 ふたたび奥比叡ドライブウェイに戻り、すっかりなじみのコースとなった横川方面へ歩き、峰道レストランを超えて50mほど歩いたところに新道を発見。 ようやくみつけた青龍寺への新道(険しいながら車道だ) そこからひたすら下ること30分。真盛上人供養塔に差し掛かると青龍寺が見えてきた。 法然を慕った真盛上人供養塔 青龍寺山門 しかし、鎌倉時代、今よりもっと寒い冬が常だったと容易に想像できるが、よくぞこんなところに籠って四半世紀近くも修行されたものだ。天皇家の秘密軍団・八瀬童子発祥の地の八瀬からも、比叡山上の伽藍群、そしてきのこ形の墓石の元三大師・良源の横川からも遠いこの地で。 青龍寺本堂 鳴り物好きな僕にはうれしい「ご自由にお撞きください」とある梵鐘をついて楽しんでいると知恩院青龍寺係の山田大輔氏が本堂から顔を出し堂内に招き入れてくれた。 青龍寺は、便利きわまりない現代でも、隔世の感ある別天地。「訪い来る人はあるのですか」と尋ねると、「登山客は素通り。ただ、二十五霊場の一つなので、発心を起こして朱印をもらうためにだけ訪ねてくる人はあります。それ以外はほとんどありません」との答えが。 本堂脇の鐘楼 青龍寺の本堂内部はとても門前を通過しただけでは決して分からないほど充実しており、素晴らしいものだった(カメラご遠慮のため、内陣がお見せできないのが残念)。経蔵は台風で大破し、目下普請中で、そちらに安置されていた本尊も本堂の脇部屋に置かれていた。また法然のイメージがまとまったら、今度は緑の季節に再訪しようと思ったことだ。 車道もドライブウェイからここ青龍寺まで。八瀬までは徒歩しか手段のない急な山道が続きます。 さて、スッタモンダしましたが、なんとか本日の目的はすべて達成。足取りも軽く青龍寺からの急坂を八瀬まで小一時間滑りをたのしみながらひたすら下った。 さあ、法然の精神形成の場にも立ち会い、僕の正月は終わった。いよいよ如月2月に突入。 青龍寺・比叡山冬季すすめコース 冬の比叡山は八瀬側のリフト・ケーブルは運休なのでJRで山科まで行き京阪に乗り換えて浜大津まで行き、そこから坂本行に乗り換えて終点の坂本で下車。徒歩で日吉大社脇のケーブルで根本中堂のある東塔まで上がるのがベターだ。そして、できればとりわけ静寂のただよう西塔を巡拝しましょう。釈迦堂裏の弥勒像はぜひお忘れなく。冬以外ならすべて山道をたどれるのだか、雪の季節は、道が途絶えてしまっているので奥比叡ドライブウェイを横川方面を目指し峰道レストランから数十メートル行ったところの標識に従って青龍寺に行き、さらに八瀬道を下るのがよろしいかと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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