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2018年01月30日
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カテゴリ:きのこ目の日本史
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 弁慶にない堂の常行堂
 古代の漆技法に魅せられた自称・漆かぶれの浦元さんから漆部氏(ぬりべし)と良弁の関係についておたずねしていたら、昨日「南都佛教」の研究誌から「漆部氏と良弁について」ほか良弁関連の抜き刷りをいろいろ贈っていただいた。筒井英俊氏の「良弁と漆部氏」と堀池春峰氏の「金鍾寺私考」はその要約を持っていて、イメージづくりに役立ててきたが、原典は持ち合わせていなかったので、とてもありがたい。今日はそれらの細部をむしゃぶるように読みふけっている。
 良弁に関する記事というものは99%までが伝承の中でのみ語られてきたので、正攻法での詰めは到底のぞめない。それで、これまで彼をどのように扱うかについてずいぶん悩んできた。(そう、極楽とんぼに見えても人並みに悩みはあるのだよ)
 二日前の比叡山の雪中の行ったり来たりの道中は、「今の僕そのままだな」と苦笑したものだった。
 まもなく突破口がみつかるのかどうかはなはだ心もとないが、とにかく粘菌のようにネバネバ・ギブアップとこだわり続けておれば、いつかはこのくたびれ坊主にも光明が差し込むのではと思い試行錯誤の日々を続けている。
 ただ、良弁から法然まで、あえかながら強靭な一縷の糸は「秦氏」というキーワードでつながっている。僕の「きのこ目の日本史」は、古代最大の幻の興産民・秦氏をかくし味にした物語であることだけは確かである。
 しかし、こうして格闘しているとやすやすと自身の思いのたけを言葉にしている作家たちがうらやましくてならない。つくづく馬齢を重ねるだけの人生を歩んできた自身の能力の無さに打ちひしがれ、自分が卑小に見えて仕方がない。
 卑小を飛翔にかえる決定的な瞬間とは何か。模索の日々が続く。


弁慶にない堂の法華堂(この2堂が左端にかいま見えるわたり廊下でつながっている)

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最終更新日  2018年01月30日 15時56分46秒
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