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2020年11月16日
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カテゴリ:きのこ目の日本史
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​                     ​​国領温泉辺りからみた三尾山​​
   30年来、仰ぎ見ながら登攀の叶わなかった三尾山を目指す日が来た。​

 ここは、その偉容を誇示する山塊もさることながら、この山名に私は古代豪族の秦氏の匂いをかぎ取ってずっと気がかりだった場所だったのである。
 三尾氏は、琵琶湖西部の安曇川あたりにある日枝山のそもそもの地主神社の白鬚神社の辺りに勢力をもっていた豪族で、継体天皇を輩出し、のちには最澄を生んだ土地柄である。その核心はコース案内の後にさせてもらう。

​                             ​佐中峠​
 三尾山登山は、中山バス停から中山新池を通り登るルートが一般的だが、一つ国領温泉に近い東中バス停からのもっとも年寄り向きのコースにした。
 林道奥の車止めより佐中峠の地蔵までつづら折りの林道を30分。ここで一息入れ、靴紐を締めなおして晩秋のきのこたちと語り合いながら、急坂を上り詰めると30分で三尾山主峰への肩のあたりに出た。そこから岩尾根を攀じる事10分ほどで山城址の頂上に出た。あまりのあっけなさに驚く。​


                          肩のあたりにでたところの頂上方面の眺め

                                  ​主峰の頂上・三尾山城址​

                        ​​主峰で昼食と珈琲ブレーク​
 三尾山はとっつきから下山まで、整備が行き届いており、とても快適な山旅に終始した。
この山容が、土地の人たちの生活に根差している様子がいたるところから立ち上っていてとても気持ちがよい。
 帰りに立ち寄った油井のバードレスキュー隊のSさんによれば、ここは鷹の渡りの観察地であるらしい。鷹だけでなく星降る夜に野営したくなるようなステキなところだ。​


                                        前三尾山
 頂上で羽根を伸ばしたあと、中三尾、前三尾と三角点踏破するつもりが、一本道なので安心して歩きだしたため、とりつきを見過ごしたようで、残り2峰は立ち寄れず、それから1時間半余り鏡峠まで南下してしまう羽目に。しかし、それがよかった。この上ない秋山の魅力を満喫。ステキな山上の散歩となった。

                           主峰直下より多紀連山をはるかにする
 この三尾山は多紀連山の西の端に当たり、縦走も可能だと川西の会員のTさんがかって語っていた。舞鶴道のトンネルの上の山稜を超えていくのだろう。この日歩いたコースはその前哨ルートのようだ。

 アップダウンの激しい尾根筋を南下していくと、やがて「分水界の径」との標識に導かれるステキな森が続く。斜光が奥深くまで射しこむ森の中を絶え間なく木々が木の葉を落している。そして時折、鳩吹く風(ハッと吹く風)が吹き抜けて、秋山ならではの寂寥感がただよう。

                                       分水界の径
 三尾山の西麓には、日本一低地にあるという分水嶺があり、水分神社公園があるのでそれに由来する命名だろう。この1時間余りの山上散歩は、ふかふかに敷き詰めた落葉の中をのんびり歩くだけだったが、最高に素晴らしいひとときであった。

 さてすでに篠山の圏内にある鋸山への分岐点である鏡峠まで来て、今来た道を取って返すかどうか相談し、中山へ下山することにする。言葉にこそ出さないが、私たちはこのかけがえのない秋山にそれぞれ去りがたい思いを抱いていたようなので二度目のコーヒーブレークにした。

 それから30分余り歩いて中山新池に出た。
 中山からは、東中まで集落をつないでひたすら歩いたのだが、それがよかった。ここで秦氏に直結する八田神社を見つけたのだ。

 この神社に遭遇し、やはり三尾山は、三峰あること以上に、この集落に定着した人たちが三尾をしのんで名付けた名称であることを確信した。
 
大和岩雄は「秦氏の研究」の中で、秦氏の末裔で雅楽の楽士を世襲してきた味摩子(みまし)で宿申楽を継承する者たちが、かって篠山市内から丹波篠山の西北のはずれに移住させられたことに触れていた。かって、安曇川の白鬚神社と共通する名前を持つ白髪岳を丹波篠山の片隅にたまたま見つけてその名に興味を覚えて、数年前の真冬にこの山に登ったことがある。地味な山塊と思いきや、この三尾山に通じるとても風格のある岩山だった。
そして、その尾根続きの山の名がなんと松尾山で頂上部には磐座があり、京都の葛野秦氏の氏神・松尾大社の磐座に通じる。その岩山を望む麓の集落が味間の名を伝えていたのには心底驚いたものだ。このあじまし、あるいはみましは、四天王寺や法隆寺の雅楽の楽人たちが代々名乗ってきたもので、もともとは秦氏が世襲してきたものだ。三尾山は、その白髪岳の北にありその三尾山の麓に八田神社があるとなると状況証拠はすべて揃う。

 かくして私の長年の疑問もまた、この三尾山の麓を巡ることで氷解した。

 なによりもうれしかったのは、この八田神社もまた地元の人たちに保護されて端正に磨き上げられた立派な神社だったことだ。
 この地は大納言小豆の発祥の地であるという。そんな小豆栽培と殖産興業民の秦氏との関連も案外つながってくるかもしれぬ。





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最終更新日  2020年11月17日 18時25分16秒
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