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カテゴリ:きのこ目の日本史
宇陀駅から墨坂神社を更に奥へ行くバスでしばらく走ったところに八咫烏神社がある。現在はサッカーの神様として崇敬を集めているらしく境内にはサッカーボールを頭に載せたコミカルな八咫烏の像が奉納されている。しかし、ここから眺めるいなさ山はなかなかすばらしい。この日は、2014年6月8日、梅雨晴れ間の暑い一日だったと記憶する。 纏向の大和の初期王権の東方の国境は墨坂なので、さらに東のここは東国ということになるが、この奥三輪の人たちの甘南備信仰が三輪山祭祀の原郷と言われている。このいなさ山の麓から忍阪あたりの人たちの祖先が神武あるいは崇神に例えられる初期の大和王権を三輪山麓へ迎え入れ、支えたのではなかったかと私は考えている。 山の口では、木製の鳥居が迎えてくれる。 こうしただらだら坂を詰めれば地元の人が嶽大明神と呼んでいる山頂の明神社につく。この社殿の石垣の脇に三等三角点が置かれてあった。 来春の旧正月に登る三輪山との比較は歴然としている。三輪山はこうした里山のかんなびとは異なり、記紀神話に対応する3つの磐座がつくられており、明らかに人工的な手が加えられているのでそれをぜひ体験してほしいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年12月24日 14時30分01秒
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