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カテゴリ:きのこ目の日本史
かって、このきのこは、とりわけ暑い季節に野山に出かけると必ず出会ったものだ。茶碗の外周をマツ毛状の剛毛が縁取る小さな朱色の子嚢菌である。アンモニアを好むとされ、山道脇でこれを見つけると登山者がここで立小便をしたなと語り合ったものだ。しかし、近年とんと見かけなくなった。30年前の頃から比べるとあらゆるきのこが激減しているときのこ好きは誰もが口にする。 春日大社の一の鳥居にほど近いところにある頭塔を訪れたのは、汗まみれになりながら滝坂の道を下ってきたそんな盛夏の頃だった。管理を任されている近くの商店で鍵を受け取り域内を見学させてもらう。 ピラミッド状に土が盛られた小山で、おそらく被葬者不明の円墳であったように受け止められた。 ここに良弁が不審な死を遂げた玄昉の頭の部分を持ち帰り埋めたと伝えられている。おそらくそれは後世につくられた説話であろう。 四方の壁面には、おびただしい石仏が埋め込まれており、石質も制作年代もさまざまなので無名の仏師たちの手になる彫像が平城京の所々から出てくるたびにここへ集められたのだろう。 玄昉も在唐留学生の際に、華厳経を好んだという則天武后(624-705)の勅命で造られた竜門の毘盧遮那仏を見ているはずである。石窟に刻まれた見るものを圧倒する巨大な奉先寺大仏は、当初は覆い屋根もあったというから、帰朝後その話を良弁もくどいほど聞かされたことだろう。 そんなことから東大寺大佛造立の功労者・良弁と玄昉の接点をこの頭塔に説話としてとどめたものと思われる。 近年訪ねる人もまれな頭塔だが、奈良公園へ行かれたら奈良町からすぐのところにあるこの都心の静謐が楽しめる史蹟をぜひ訪ねてみてほしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年01月22日 11時20分48秒
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