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カテゴリ:きのこ目の日本史
古都の春を告げるお水取りの行事が行われる二月堂には不思議な場所が色々あって興味がつきない。 若狭から送られてきた水を汲み、お水取り神事(正式には十一面悔過法といい絶対秘仏の十一面観音に日本のありとあらゆる神仏を呼び出してその罪業を悔い改めるお祓いをする行事)を行うのだ。これは大佛開眼の年から良弁の弟子・実忠が始め、それから千数百年絶えることなく続けられてきたという。 その二月堂の足元には若狭井(写真の小さな建物)と赤子の良弁が鷲にさらわれこの木にぶら下がっていたところを義淵僧正がみつけて連れ帰り仏道を教えたとされる良弁杉(建物わきの大杉)がたっている。 この杉はかっての伊勢湾台風だったか、大型台風の際に倒れ、現在のものは2代目だという。 そして二月堂の両脇には三尊像の脇侍のように右に飯道神社(写真上)、左に遠敷神社(写真下)が佇んでいる。 この遠敷神社とは、若狭のお水送りの鵜之瀬のある遠敷川(小丹生川)を祀る神社で、遠敷川には良弁生誕伝説のある白石神社、和赤麿(やまとのあかまろ)の奉祀する神願寺があり、若狭一宮の若狭彦、若狭姫神社もある。 二月堂と深い縁のある若狭とのつながりを示すこの遠敷神社の存在理由はなんとなく理解できる。しかし、右に祀られている飯道神社とはいかなるトポスを示しているのだろう。これははんどうじんじゃと読み、調べてみると豆田の狸に縁の深い陶芸の里・信楽(かっては紫香楽と書いた)の北部にある飯道山にゆかりがあるらしい。 そこで、2013年馬酔木の咲く3月20日、信楽鉄道の車中の人となって飯道山を訊ねることにした。 この2013年以来、休みの度にヤマトの平城京時代の良弁・秦氏の痕跡を訪ねて随分精力的に奈良の地を巡ったものだった。当時、足を棒にして歩いたおかげで少しずつ、いにしえ人の心の動きが私の中で像を結び始めてきたように思う。(続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年01月29日 15時47分36秒
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