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カテゴリ:きのこ目の日本史
飯道山口にある飯道神社 信楽の北東部、信楽高原鉄道では信楽駅の二つ手前のしがらきぐう駅で降りると、近くに聖武天皇の時に築かれた紫香楽宮跡(甲賀寺跡)があり、そこから1時間ほど歩くと飯道山ふもとにたどり着く。 そう、信楽のある甲賀市は、陶芸の町である以上に、聖武天皇の三都構想のひとつ、紫香楽宮のあったところなのだ。そして、そこは春日奥山から笠置山、月ヶ瀬、島ケ原と続く良弁の率いる金鷲行者の鉱山師としての活動拠点とほぼ重なる。 この甲賀市の飯道山(664m)の至近距離の真東には、良弁が開祖となった金勝寺のある金勝山(567m、栗東市)がつらなり、その北に位置する阿星山(693m、同じく栗東市)とつなぐと、あかがねトライアングルともいうべき鉱山脈の三角地帯が現れる。 東大寺初代別当(今風に言えば事務局長)の良弁にとっては、自分の家の庭のようなところだったと推測される。 今でこそ山深い鄙の地の様相を呈した飯道山麓に広がる集落であるが、奈良時代には新都構想に沸き、活況を呈したことであろう。 まず、この地の甲賀寺跡で東大寺大仏の原型が作られ、紫香楽宮は華厳仏の都となるはずであった。 飯道山の頂には、立派な神宮寺が残されている。 山頂の境内 本殿 境内には本殿のほかもうひとつ堂宇が残されている そして本殿の裏からは辿ると小一時間はかかるけわしい行者道がめぐらされ、笠置山同様、胎内くぐりや蟻の戸渡しなどの修行場が展開する。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年01月31日 17時59分50秒
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