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2021年02月05日
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カテゴリ:きのこ目の日本史

​   笠置駅頭から望む笠置山(288m) ​
 平城京の東山である春日奥山を経て木津川へ至る直前に位置する春日山は古代より重要戦略拠点であった。ここは、吉野金峯山の修験たちとは別系統の良弁ら山林修行者たちが注目していたに違いない。2013年は、笠置山にムックきのこクラブや個人で3度も登っている。​

​​​​​​​ こじんまりした独立峰ながら山上には古代より南北朝にいたるまでの史蹟が散見できる。

 山頂には、住職が常駐する寺院(写真はその内陣)があり、その近くには大師堂が残されている。この地は実忠建立の正月堂があったところで、そこに明治以降になってJR笠置駅ふきんにあった大師堂をここに移築したという。

 木津川を見下ろす展望処には大岩が残されている。

 この岩の上からの景観を見れば、山城としては最高の位置にあることがおわかりいただけると思う。
 そんな要地にあった笠置山は南北朝時代にも、後醍醐天皇が行在地跡とした場所も残っている。

 飯道山と同様の修験の身心鍛錬のための行場を30分余り巡ると、笠置山の最深部に至り、2つの大摩崖仏と風けつに出会う。

​​​
 笠置山でももっとも重要な地点である頂上最奥部の岩陰にひろがるこの広い台地には弥勒立像の痕跡と線刻の虚空蔵菩薩坐像、そして実忠がそこから弥勒の兜率天へと至りお水取りの神事の儀礼を見聞したといわれる千手窟も残っている。
 正面の15mあまりある壁面に奈良時代、弥勒像が刻み込まれていたが、鎌倉末の元弘の役で全山焼き尽くされた折に長時間高熱にさらされ、さしもの花崗岩の摩崖仏も崩落したと伝えられる。
上の写真はその剥落跡の岩壁で全高15m。像高は10~12mあったという像の痕跡がさらされている。
 壁面手前の御堂には、在りし日のそのトレース図像が展示されている。

 その弥勒本尊像が見下ろす位置には平安期の弘安年間(810-824)に弘法大師がここで虚空蔵菩薩求聞持法を修しながら一夜で線刻像を刻んだ伝えられてきた虚空蔵菩薩坐像がある。
 しかし、山西省雲崗の磨崖石仏様式につらなるものであることから本尊磨崖の弥勒仏同様、奈良時代の渡来人の手になるものだと考えられる。


 この坐像も巨岩に刻まれており、8×10mほどもあり、すでに東大寺大仏を睨んだ巨大仏像への意志が読み取れる。
 そして、その虚空蔵菩薩像の隣には、実忠の千手窟がある。

 土砂で埋めつくされた感のある風けつ跡だが、ここへ足しげくおとづれる間に良弁、実忠の中でお水取りの儀式が構想されていったに違いない。
 こうして春日奥山から良弁たちが鉱山師として活動した湖西、湖東の連山へと抜ける道中には古代史の舞台裏が時空を超えてしっかりと残されていることがお分かりいただけたと思う
。​






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最終更新日  2021年02月05日 12時56分54秒
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