去年、山の辺の道を大和神社まで歩くついでに三輪山登拝も狭井神社で申し込むと、コロナのために受付をたった今締め切りましたとのつれない返事。そこで、今回はリベンジを果たすべく正午までに乗り込むことに。
20年前に初めて登ったが、大きな台風の直撃があってそれから半年ほど経過していたので荒れていますよと念押しされたが、その通りで太初の森がすべてなぎ倒され全山はげ山の状態であった。
10年前にも2度ほど登ったが、その時も木々は空を覆うには至らず、登山道は雲母片がきらきら日を返す神々しい山容を呈していた。
登山口より水呑谷に沿って登ると30分ほどで滝打ちの行場に至る。
ここからつづら折りの道を登り小一時間直登に近い勾配を登ると頂上にいたる。森林は回復基調にあるが、山全体の荒廃は覆うべくもなく露呈しており、これが列島の自然の縮図なのだと受け止める。
中間地点に位置する中津磐座。高宮神社直下に認めた小さな磐座。
高宮(こうのみや)神社。20年の間に整えられたが、かっては小詞がポツリと置かれていただけの素朴なものであった。それがなんともゆかしいものであったが、この神社、明治になって麓の御子の森にある神坐日向神社(みわにますひむかいじんしゃ)と誤ってすげかえられてここに鎮座ましますという。沖津磐座。三輪山の磐座はすべて人工物で、手を加えればくわえるほど荒廃していくように私には思える。
沖津磐座には拝所が設けられていたので、♪うま酒三輪の♪の枕詞にならい、画伯持参の極上のラムと小生持参のウイスキーをお供えした。
この沖津磐座の奥に標高467.1mの三角点の石標があった。
天皇霊の拠り所とされた三輪山は、そもそもは太陽神信仰の山であり、大和大国魂神と同格の神様であった。やがて太陽神が天照大神として三輪山から引き離されていくにつれ、出雲の大国主命が付加され、そこから龍蛇身の農耕神や水の神となり、やがて疫病よけという機能まで付加され、よろず相談の神となり下がっていく。実に気の毒で痛々しい神様なのだ。
三諸山はお参りする度に神々しさより痛々しさを感じてしまう。
4度目の正直はこんな印象を抱いて終わった。私に5度目の正直の三輪山登拝があるかどうかは不明ながら、なんとも悲しいことである。