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カテゴリ:ヘテロソフィア・アート
五島列島生まれの椿﨑和生さんとは、不思議なご縁で25年余りかけて徐々に親交を深めてきた。近年さらにおとうさんがシベリア抑留体験者だと知りまたまた驚いた次第である。覆面のマスク姿が良く似合う作家像。 彼の個展は、日々コツコツと作品を作り続けている姿が彷彿とするもので、そのエネルギッシュな作風には驚きを禁じ得ないが、今回の舟シリーズの作品は、浜の情景やイカ釣り船の作品などもあるが、作品の大半を占めた大海の中にポツンと浮かぶ船(決して小舟ではないが小舟にしか見えない汽船群)の造型作品に特に惹かれた。 手に模型の船をもち、埠頭に佇む少年はおそらく作家の自画像(今もまぎれもない少年だ)だろうが、このまぎれもない孤影こそがこの作家の立ち位置で、私は彼の孤絶感は、とりわけ圧倒的な青海原を眺めながら育ったことと不可分のものだと思われる。 私も瀬戸内の海を見て育ったとはいえ海の概念に天と地ほどの隔たりがあるのはいたしかたない。言ってみれば彼の海は鯨の寄せる海。私のそれはスナメリの回遊する海の違いだろう。 以下の作品は、これでもかこれでもかと、波に翻弄され、あるいは浮かぶ点景としての船をモチーフにしていて興味がつきない。 彼の手になる小舟は、さまざまな海波の表情の中で目的地をもたぬ幽霊船のごとく、しかし、逞しく、ときに健気に、漂よいつづけているのが見てとれる。彫刻刀で無限に彫り進めていく彼の意識の果てはなく、その没我の行為のみが彼の存在証明とでもいうように。 会場では、彼の近年たどり着いたアートの境地を訥々と語っていただいた。去年開かれた巻物展の際にみた樹木の樹皮のコラージュともいうべき作品群に私はとりわけ惹かれたが、彼も自然を凌駕するほどのアートは決して無いとの思いから、その自然を取り込んだ作品づくりに意欲的に取り組む決意と聞いた。今後ますます楽しみな作家である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年03月09日 18時28分09秒
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