わが盟友・チャル(岩里藁人)さんのマダラノファミリア
貧乏暇なしのわが晩年は、小銭にかかわる雑用に追われて果てるかなと思っていたが、再三の死神さんの訪問をかくれんぼに興じながらかわし続けていささかの猶予が残っていそうなので、この春からはすべての活動を一点集中させてライフワークのつぎはぎ作業に没頭したいと考えている。
ライフワークとしてのきのこで私のやりたいことは海山ほどもあるが、私の提唱してきたThrough The Kinoko(きのこを通して=TTK)は、きのこの彼方、すなわち生き物としての私たちにつながる生物学としての微生物世界、文化人類学、哲学、図像学、芸術、詩文学を総合科学として再構築する手がかりを残すことにあった。
これから可能な限り追求したいことは、
1. 微生物・きのこのイコノロジー(図像解釈学)序説 を筆頭に、
2.きのこ目の日本史として、文化装置としての天皇制を見つめる中で掘り出してきた、まさにきのことしか言うしかない人間群像を通して、広い意味の宗教文化の観点から跡付けたいこと。
A 良弁・行基・役小角の奈良時代。
B 空海・安倍清明の平安時代。
C 法然・親鸞の鎌倉時代。
D 観阿弥・世阿弥・時宗につらなる阿弥衆の室町時代。
E 蕪村・芭蕉の江戸時代。
F 榎本武揚・土方歳三の幕末、明治時代。
G 民衆詩としてのモダンジャズ、ロシアンポップス、熱帯音楽と、そのかけがえのない民衆詩人たちの現代。
これらすべてに影のようにまつわりつく幻の秦氏像をあぶりだしながら拾い上げていくという身の程知らずの思いを実現したいと考えているので、到底命が幾つあっても追いつかない。
「月のしずく」も、そんなツールとして、生物学としては、真菌類、発酵微生物、バクテリア、ウイルスなどの目には見えない世界。文化人類学としては、列島史の中の秦氏の流れを汲む目には見えない暗流を形成してきた人物群像。それらを、その格好の指標としてのきのこを通して具象化しまとめあげていきたい。
もちろん、ラボMときのこと発酵文化ニュースレターの「月のしずく」の役割は、これまで微生物としてのきのこの文化振興に協力してくれた盟友たちへのせめてもの恩返しの意味もあり、その作家たちの顕彰も込めている。
見果てぬ夢(Impossible Dream)と大風呂敷は、拡げた者の勝ちなので、自身の足かせとしてここで述べておくことにする。