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カテゴリ:きのこ目の日本史
蘇我氏本宗家壊滅後もこの寺は大切に扱われ、平城京の時代になっても近鉄奈良駅近くの奈良町に移されて元興寺として今も健在である。書紀によれば、乙巳の変で入鹿が殺害されると東漢氏が警護する甘樫丘に籠もる蘇我蝦夷に対し、中大兄皇子と中臣鎌子の勢力がここに籠もって臨戦態勢を敷いたところとされる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年03月26日 10時24分34秒
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