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夢みるきのこ

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2021年04月30日
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 私の古代史への関心は、海洋民・海人族の顛末である。
  その我が国の古代海人の系譜をまず辿っておこう。
「新潮」元編集長でユニークな古代研究家の前田速夫によれば、古代海人族は宗像系、隼人系、安曇(阿曇)系の3つの系統に分けられるという。
  宗像系の海人は、たぎり姫、いちきいり姫、たぎつ姫の宗像三神を祭神とする操船にすぐれ、遠洋航海に長じ、潜水・素潜りを得意とし、主として日本海沿岸部に広く分布。
  隼人系の海人は、インドネシアを源郷とする海洋民で、オオヤマツミの神を奉じ、のちの瀬戸内水軍の中核として成長を遂げた最も戦闘的な海洋民。
  安曇系はその傍系に住吉系を有し、インド・チャイニーズ系と言われ、船を用いて釣りや網漁を併用し、航海を得意とした。中国南部の閩越(びんえつ)地方の航海民の系統を引き、大陸の沿岸部に沿って北上、山東半島から遼東半島、さらに朝鮮半島西岸を南下、南西海岸、多島海、済州島方面へ経て、玄界灘に達し、博多湾の志賀嶋を本拠地とした。ここから北部九州沿岸の海域を押さえ、さらに北九州から瀬戸内海を経て紀伊半島に出て、志摩半島に重要な基地を築いたとされる。日本各地に残る安曇、渥美、熱海などは、その名残りである。
 これらの海洋民が中心となって大和の初期王権を支え、親衛隊の役割を果たしたが、これら海洋民の政権内部における栄枯盛衰、そして朝鮮半島と大陸の王権の動向が日本史の光と影を描いてきたと私は考えており、それを記述するふさわしい表現形態を模索しているのが現状である。
 久々に空の雲を眺めながら、うとうとと舟を漕ぐ一日を賜りそんなことを思い巡らせていた。





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最終更新日  2021年04月30日 18時26分51秒
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