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2021年05月04日
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カテゴリ:きのこ目の日本史


 ヒメコソ神社は大分の姫島と難波の玉津3丁目交差点のビル街の1隅にあるが、仁徳天皇にゆかりの深い高津の宮やここから鶴橋駅をはさんだ西側にひろがる味原の地に社地はあったと所説あって一向にすっきりしない。

 記紀によれば、ここの祭神は新羅からやってきたアカルヒメの筈だが、神社ではシタテルヒメとあり大国主命に関連づけられており、延喜式内社であるにもかかわらず逼塞させれられているかのような扱いを受けている。

 さらに神社の縁起書にも、新羅の姫であるアカルヒメのことには一切ふれられていないのも奇妙だ。

 境内には下照姫とのつながりを示すかのように大国主命(おおなむちのみこと)の小詞と、産湯稲荷社がある。この産湯稲荷社は近くの味原の旧社地と思しきところにあり、この地の開拓神大小橋命(おおこばせのみこと)誕生の際に産湯にもちいた井戸のあったところで、彼を包んでいた胞衣(えな)すなわち胎盤を埋めたところとされている。

​ この味原の産湯稲荷と玉津にある大小橋命の小詞は、次回是非とも訪ねてみたい。また奇岩累々たる近くの仁徳帝の高津の宮にもふたたび訪ねてみよう。
 この新羅由来の神に対する伝承がすべて隠蔽されているところに難波の地(河内)に王宮を移した王権の深い秘密が隠されているように思えてならない。​ 






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最終更新日  2021年05月04日 09時40分49秒
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