きのこをつくるミクロ生物の菌類の本体は、徹底した横並び社会を形成しています。それは水平思考そのものです。それに対してその最頂部で胞子を飛ばすためだけの目的で想像を絶する巨大な造胞子器官を打ち立てるのが、いわゆる通称・きのこです。きのこはすなわち垂直思考そのものです。
さらに、私たちの人類史はその垂直思考の全記録なのです。
私の敬愛する文学者、詩人、科学者、文化人類学者、芸術家はそれぞれ垂直思考の達人ではありますが、それに留まらず、その達成したきのこを水平思考に置き換える努力を精一杯払ってきた人たちです。
この世には水平思考と垂直思考があり、職業としての科学や知の体系が法や国家やアカデミズムを形成してきて人類の財産となっていますが、それらの営みに決定的に足りないものは水平思考なのだと気づかせてくれたのが私にとってのきのこでした。
そしてきのことの邂逅からあらためて世界を見直すと垂直思考の達人の中にもごく少数の水平思考を必然と考える人たちがいることに気づきました。その長い熟成の日々を経て偶然の出会いが私淑に変わったのは、松岡正剛、そして今福龍太、小泉武夫、武光徹です。もちろん、両手両足の指くらいではとても足りないくらい深い影響を受けた人たちは多くいますが、この四者は特別です。彼らは、みずから垂直思考で打ち立てたきのこを水平思考に適応させるために抜群の努力を払い、いわば個別科学のみならず、その知の体系をたえず脱構築させながら総合化へとつなげていった超達人なのです。
そのことに気づかせてくれたのが、きのこ世界では『太陽と月の結婚』の
アンドリュー・ワイルと『ネオフィリア』『スーパー・ネイチャー』のライアル・ワトソンでした。
そして今福龍太の『感覚の天使たちへ』や『クレオール主義』と出会って、それらの知識を実践する方法を教えられたのです。彼は、植民地主義の席巻したアフロ・アメリカ文化からポスト・コロニアル文化としての戦略的思考を熱く語りましたが、本来的に詩人でした。
私は、彼の言説から、そのアジア的展開、さらにコロニアル支配をバスした特殊アジアの島国の日本的展開には、きのこがふさわしいと直感したのです。
その特殊世界から普遍への道筋をきのこの、しかもそれをアート運動としてやろうと考えてJ-FAS日本キノコ協会を創ったのです。協会の英語表記のJapanese Fungus Appreciation Society のAppreciation(=観照)にそれはしっかりと刻み込んでいます。
ユダヤ・キリスト文化の男性原理の世界にマリア信仰が根強く広まっていったのは、太陽神のオオモノヌシが天照大神に変貌を遂げていったこととよく似ています。すべてのアートや学問は本来つながりがあり、それが個々の人たちの力不足のために展開できていないだけなのです。それを組織体としてではなく個々人の主体性にまかせゆるやかにつながりながら協同していくことが必要です。
その最後の仕上げの季節がすでに始まっています。「光あるうちに歩め」垂直思考の際たるものが男性原理のキリスト教文化ですが、これを全否定するのではなく、「一切を肯定」(私を育ててくれた祖父・卯之助の座右の銘でした)することで克服する手立てをきのこのアートとして提案したいと考えています。