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カテゴリ:きのこ目の日本史
以前から気になっていたひめこそ神社の候補地を巡る第3弾目は、西淀川区姫島駅近くの姫嶋神社だ。 『摂津国風土記』逸文以来、この土地の人たちには長くこの姫神の記憶があり、それが姫島という地名に残されたのではないかと思ってきた。 尼崎のJR立花駅近くには生島、来島神社があり、この猪名川から淀川の河口は古代ラグーンを成しており、そこでは、天皇霊にとって重要な八十嶋祭(やそしままつり)が執り行われたこと。 おそらく新羅の姫神も、この姫島の辺りのラグーンのひとつに上陸してしばし憩ったのち、味原郷の産湯稲荷社のあたりへ移り居を定めたのではないかと想像してみる。前回ご紹介したように、上町台地のへりの味原池のほとりには、湧き水もあり住むには快適な場所だったに違いない。 祭神は阿迦留姫命、住吉神、神功皇后。 現在は、夫と別れて本国へ帰ったとされるアカルヒメの伝承を今に活かした「やりなおし神社」として多くの女性に親しまれているといいます。 さて、この姫嶋神社は南向きに建てられており、鳥居から本殿方向には参道の西側に玉榮稲荷社、当地の鎮守の神を祭る元楯社、金毘羅社と並び、東側には神木の大楠に棲んでいた白蛇(奈賀止麿命)を祭る楠社がある。この神木は昭和20年5月15日の大阪大空襲の際に神社や10基以上あっただんじりもろとも焼失。すべて戦後の再建とのこと。 この玉榮稲荷社(写真上)の脇のうずたかく積まれた4基の白いものは近づいてみると奉納絵馬でした。 ホタテ貝の殻でしょうか。絵馬としてはなかなか面白い。 この末社は創建年代も祭神も不明。元楯社跡との石碑があったところから鎮守の神だろうとして祭神も元楯大神として祀られています。 金刀比羅社らしいが不詳。 白蛇をお祀りする楠社。 楠社の背後には焼失した楠の幹。戦後3本の楠を後続樹として植えられ、それが立派に成長して緑蔭を形成していました。 そしてその傍らにはキクラゲが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年05月22日 21時56分46秒
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