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カテゴリ:ヘテロソフィア・アート
大竹茂夫さんから勧められて駆けつけた美術展。久しぶりに手ごたえのある作品群でしばし時を忘れて魅入ってきた。逆回りでまず目に入った作品が第3章「あいまいのものがたり」の『だからだいじょうぶ』だった。 倨傲に満ちた男性の傍らで消え入りそうになっている女性の間に入ってなだめているような絵柄の作品。 ついで、第2章「女性の肖像」のICONOVOGUE ファッション誌を飾る女性たちの魂のゆらぎを摘出してきたような見事な表現。混合技法で描かれた女性のポートレート群。 いずれも消え入りそうでいて、しかも芯の強さを滲ませている。 さる洋菓子メーカーのラッピングに採用されたという画面いっぱいに生命感のあふれる図柄。 第2章「ものがたりの中の肖像」では、シャガールを思わせる構図と色使いが特徴的な作品群。 この克明に描かれた花嫁の目線の先の空間処理が絶妙だ。 ふたたび「あいまいなものがたり」の中の作品。 そして「ものがたりのなかの肖像」の1章から「女性の肖像」の2章の視点への転換に架橋するかのように設けられたコーナーには球体やオルガンなどの楽器に直接描かれた作品が並ぶ。上はそのものずばりの『天球儀』 ヴァイオリンとケースに書き付けた『月の棺』とメトロノームが刻む音を『魚の足音』と題してありえない世界を具象化している。 もちろんこのコーナーを統べているのが『スモーキング・エンジェル』と『Room』のイコンを脇侍とした大作『ママの夢が怪物をつくる』と題されたアクリル画の作品であることはいうまでもない。 総じて、大竹茂夫さんがこの作家たちとぶつけ合った青春時代の雰囲気が全館にみなぎっていて清々しいものを感じた。 🍄 私はきのこを愛するアーティストたちの個性的な流れを主調とするヘテロソフィアアートとしか表現しようのないアート運動の必要性を訴えてきたが、それはマイノリティーの文化を継承するもっとも地道なアート活動こそが地球の明日を確実なものとするという思想に根差している。きのこはそんな作家が自身をマイノリティーと自覚することから始まる。きのこはそんなアーティストたちの精神性の象徴なのだ。 この世界の両義性の罠をきのこを通してしっかりと見据える目をもった作家の登場を待ち望んでいるが、大竹茂夫の同時代人として画業を重ねてきたこの作家にはヘテロソフィア・アーティストとしての抜きんでた資質がみられ久しぶりに興奮した。 きのこは無限定の象徴。しかしながら、きのこに魅了されたアーティストはきのこにとらわれてしまって、そこから抜け出せないのは実に悲しむべきことだ。きのこの表層をなぞることはマイノリティーを志向する自身を自覚することではあっても、そこから自身を解き放ってはじめてアーティストとしての第一歩がはじまる。 私の言う「ヘテロソフィア・アート」とは、どこまでも無限定、多義的、自由そのものであって、しかもきのことしかいいえないものの総称なのだ。 阪神尼崎駅から徒歩5分の尼崎総合文化センターで開かれている赤松玉女展の会期は6月13日まである。まだ、十分間に合うので、そんな意味でも私が期待を寄せるアーティストの皆さんはぜひこの展覧会をのぞいてじっくりとこの作品群と対話してほしいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年06月06日 11時58分48秒
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