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2021年06月25日
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カテゴリ:きのこ目の日本史


 ​大山崎の地は古代以来、木津川、桂川、宇治川の三川合流地点で京、大和への交通の要衝であり、山と川の間が200メートルという隘路になっていて、この細いところに阪急、JR、国道71号線が殺到しているので、古色ゆかしいとはお世辞にもいえない。しかし、ここには元宮八幡宮は言うまでもなく、天王山へ向かう山路に宝積寺、妙音山観音寺(山崎聖天)の古刹があり、利休の待庵を設けた妙喜庵もある。 
  

 JR大山崎駅からすぐのところにある妙喜庵は、連歌師山崎宗鑑の庵を改めた寺で、ここには利休が秀吉の命令で立てたわずか二畳の茶室・国宝の待庵がある。予約が必要なので、写真は史料館のスライドから拝借した。

 この妙喜庵からJRの鉄路を越えた宝積寺への登り口には「この付近霊泉連歌講跡」と読める石碑もある。 
 水無瀬といい、大山崎といい連歌師にゆかりの深い土地柄である。

 そこから京方面へしばらく北へ歩くと北向きの稲荷堂があり、妙音山観音寺の急な石段が立ち現れる。

 このあたり、隘路から天王山の取り付き口にあたるので急坂続きである。

山崎聖天、妙音山観音堂の本堂。

 立派な山門を備え、宇多天皇の勅願寺と伝えられる古刹だが、荒廃にまかせていたものを江戸時代前期に以空上人が夢告により聖天堂を建てて再興し、以来、生駒の宝山寺同様、三井、住友、鴻池らの豪商の支援を受け観音堂というより歓喜天を祀る商売の神様として栄えたという。
 山崎聖天さんから竹林のみちをきのこを辿りながらとろとろ登るとからめ手から宝積寺の境内へ入る。聖武天皇が即位して間もない頃、僧行基に命じて開創させたと伝えられる。
本堂の一つ下ったところに慶長年間創建の古色蒼然とした三重塔が目に飛び込んでくる。
 宝積寺の御本尊は十一面観音で訪ねたときはすでにコロナ禍で拝観を早めに終了した直後だったので、遠くから尊顔を拝した。


 天王山・宝積寺山門は妙音山観音堂の山門よりも小ぶりながら、もっとも見晴らしの良い好適地に建てられ天王山への正門たる面目を保っており、聖武天皇勅願所の石碑も誇らしげにみえる。現在は真言宗智山派の寺院だ。


 ここから酒解神社まで山路を辿り、天王山からの帰路にとったので楽ちんだったが、登りにとれば、息切れするほどの急坂が待っていただろう。
 かくしてキヌガサタケの旅に加えて念願の大山崎もめぐり終え、充足感に満ちて帰路についた。






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最終更新日  2021年06月25日 09時46分44秒
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