1794929 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

夢みるきのこ

夢みるきのこ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

2021年08月25日
XML
 21世紀に入ってコギャル文化のきのこが登場。そのさきがけは90年代から始まった日大の「珍しいきのこ舞踊団」でした。私はこの流れに注目してきましたので、何度かMOOK『きのこ』でも取り上げました。このコギャル文化のおかげできのこ世界はきもい存在から可愛い存在へと一挙に転じました。ただこのコギャルたちの限界は、図鑑の中のきのこ採集に終わっていること。各地のきのこ同好会もまだまだ彼女たちをすくい上げきのこ世界の奥へといざなう役割を果たしているとはいえません。その原因のひとつが、それぞれきのこに目が点になってしまっていることがあげられます。したがってコギャルたちの好みに合致したきのこ、すなわち可愛いきのこ図像だけで限られてしまうのです。

​​​​​​​ ジャズスタンダードナンバーに  "I only have eyes for you"がありますが、邦題の「あなたしかみえない」状態できのこ界はずっと推移しているのが問題なのです。「きのこしかみえない」というのは本来美徳なのですが、それはあくまで個人の心の中にしまっておく矜持の問題。それができないのがきのこおたくの限界でもあります。それはやがて、きのこしか見ない自分のかたくなさの前で足踏み時状態におちいってしまいます。
 かくしてきのこ世界も他の特殊な趣味世界同様、袋小路に陥りつつあるのが現状です。これを打破するためにはきのこという生物を文化指標として深める必要がありそうです。
「月のしずく」はすでにどこにもきのこを冠していませんが、あきらかにきのこを主調とする潮流です。「たかがきのこ」と考える人たちに控え目に「されどきのこ」の部分を示すことにその役割があります。

 それは、きのこの本質を月の光を浴びてつかの間かがやきを放つ一粒ずつの個性に注目すべしとそっと指摘する内容にしたいと願っています。
それはやがて、ありうべききのこ文化の進化形、NEXT PAGEを提示するものとなるでしょう。

 
 コガネキヌカラカサタケ             ハナオチバタケ
 今年の夏はわが近辺でもしばしば話題に上ったコガネキヌカラカサタケ(左)。そしてホウライタケグループのハナオチバタケ(右)。こちらのきのこは雨後の落葉層や山道脇で群生して現れるのが特徴ですが、その中の1本をあえてとりあげて示している点にこの作家の個性が現れています。
 そんな意味でショップグッズでみつけたTさんの3つのきのこは、きのことの距離感が抜群で評価できるものです。きのこのアートも思想もその原点は野性生物としてのきのことの出会いのときめきを深めることをおいて深化(進化とは別物です)はありません。それを欠いたままでの文化は砂上の楼閣に終わってしまいます。
 私たち一般庶民にとって永遠の異生物(hetero creature)きのこ。21世紀はそんな<異>と正面切って向き合わなければならない世紀です。昨夜印刷が上がった月のしずく35号はそんなヘテロをテーマにしています。
どうぞお楽しみに。

 
 ヤコウタケ(昼光の下)             ヤコウタケ(夜陰)
 ヤコウタケ ​Mycena chlorophos​ は、残念ながら日本列島では小笠原諸島以南の亜熱帯にしか自生していないきのこでこれは岩出菌類研究所の栽培キットのものでしょうが、発光生物の不思議はきのこの生物としての不思議さをもっとも如実に体現しています。
 ​女性がひとり野山をさすらうことには限界がありますが、Tさんはその貴重な出会いの一つ一つを最大限かたちにとどめることから始めています。これが私の考えるきのこアートの基本です。この永遠の他者、すなわち微生物の目にみえる部分としてのきのこを生き物としてまずとらえる視線の上に積み重ねていく文化こそが月のしずくの文化のもっとも基層となるものなのです。​​​​






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年08月25日 09時39分47秒
コメント(0) | コメントを書く
[マダラーノフの独り言] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X