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カテゴリ:マダラーノフの独り言
虚子の句だったかに「鶏頭の十四五本もありぬべし」という句があり、山本健吉が鶏頭という花の季語の本意を示しているとして激賞して以来、名句といわれてきたが、今となってはどうかなと言う気がする。写真のような孤独きわまりない鶏頭こそが私にははるかに現代的なように思える。 俳句の捉え方がこの50年ほどの間に随分と変化を遂げて、今や俳句に求めるものがすっかり変わってしまうと受け止め方も作り方も随分変化してしまう。<夜の顔不思議な俳句会>でも、かっての秀句と言われた俳句に無縁に育ってきた人たちの句に素晴らしいものが多く寄せられるようになり、「俳諧は三歳のわらわにさせよ」といった芭蕉の言葉がとても新鮮に感じられる今日この頃である。うん十年俳句に関わってきた人はもっともっと心すべきであろう。 今回の夜の顔不思議な俳句会でも目からウロコの作品が多く寄せられていた。 私が選んだ作品は 「近道なのよ」墓地ぬける白日傘 これは文句なしに良い。 海月背に夫婦で自撮る休戦日 くらげ、夫婦、休戦日絶妙な塩梅。 旅客機の腹みせて過ぐ夏の夕 腹見せての把握と夏の宵 また母と昼餉のはなし雲の峰 卑小ではない卑小な世界と積乱雲 病院へスタンプラリー老いの夏 スタンプラリーの言葉の発見 いずれの作品も言葉が生き生きしていて素晴らしい。5句しか選べないので残念だが、まだまだ面白い作品が溢れている。 そんなことをとりとめもなく考えながら農村部を巡ったが、稲穂は自らの重みでうなだれ、あかのまんまがままごと遊びのこどもたちの非在を嘆いていた。しかし、雑木林ではまだ夏のきのこが目白押しである。20cm以上もあるシロオニタケの類いのきのこがドデスカデンと競って顔をのぞかせている。夜ともなればそこら中で虫すだく秋になっちゃっているのにね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年09月07日 22時59分36秒
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