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カテゴリ:マダラーノフの独り言
この夏のはじめに能勢の慈眼寺をたずねた。ここには能勢浄瑠璃・義太夫節の歴代の家元の墓が数基ある。 境内にはひともとのかやのきがある。材は将棋の盤、実は食用になる。 同じく境内には寺院の屋根に葺かれていたと思われる鬼瓦が置かれてある。土を造形して高熱で処理した瓦は、それ自体鉄にも勝る人工物だった。 わが国最初のバブル期を迎えた平城遷都まもない奈良時代に太政大臣になった長屋王は、まず「国際都市にふさわしく都大路の家々を瓦ぶきにしましょう」と建議して許されている。 その当時、あおによし奈良の都もまだ主要建造物以外は板ぶき、かやぶきであったのだ。 わが国に地蔵信仰が広まったのは平安時代である。庶民信仰の対象である石仏信仰はまず、異形観音の十一面観音からはじまった。鎮護国家の仏教と平行して庶民信仰としての仏教は、まず観音信仰からはじまり、地蔵、薬師へとふくらんでいった。 「阿弥陀如来来迎図」に先行して「十一面観音来迎図」が奈良には方々に残っている。勅命により良弁が開基したといわれる恭仁京を見下ろす加茂の海住山寺のそれが有名だ。 我が国土はどこをほってもお地蔵さんがごろごろ出て来て土木建築工事が調査のためその都度中断されるといわれる。そんな星の数ほど作り続けられたのがこのお地蔵様である。そのほとんどはこの地蔵のように埋もれるまえから風化してさざれ石にもどる寸前のものであった。この風化にさらされるすべてのもののいのちを、しっかりと支え、ここにその人ありと伝えてきたものが私にとってはその土地の地霊に等しいきのこたちである。 その土地土地の民藝やアートにはそれぞれかけがえのない集合意識としての個性が刻まれている。その人たちの執念ともいうべきいのちの形を伝えるものがアートであり、芸術である。 私は、この名もない人たちのアートにこそ人間の真実があり、その物語にこそ現実があると考えて旅してきた。 野に在ることの尊さその栄光と悲惨を、きのこを通して一人でも多くの人たちに伝えていきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年09月16日 18時38分04秒
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