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カテゴリ:マダラーノフの独り言
木の根橋の手前の観光センターのパーキングの塀の隙間からは京都黒谷で見た五劫思惟阿弥陀仏と同じ坐像が、ひとり悩まし気な格好で瞑想にふけっていた。おそらくは浄土宗寺院の境内なのだろう。 1刧とは、気の遠くなるようなとてつもなく長い天文学的な時間だが、さらにそれの5倍の時間、衆生救済の手立てをあれこれ悩んでいたために螺髪(らほつ)が伸びてパンチパーマみたいな髪型になったという。それにしては短かすぎるので、10の18乗のさらに5倍の年数?!を、夥しい数の床屋さんが刈って刈って刈りまくったのだろう。 現代人は、「救われてそれがどうした」っていう気持ちが強いので、円満長寿が関の山とすでにあきらめているはずだから、そんなにまでして悩む必要はすでにない。それっぽっちの悩みなら円満長寿の環境整備で充分間に合う。コロナくらいでは簡単にコロンといかない環境整備。これを政治におんぶにだっこにしてしまっているのが現状だ。この期に及んで、宗教はさらに非力であるのも悲しい。 おそらくこの阿弥陀さまはそのことを悩んでいらっしゃるのだと私は思うが今度たずねたらそっと聞いてみよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年09月18日 18時52分16秒
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