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カテゴリ:ヘテロソフィア・アート
アートには資産家が投機の対象としたり、パトロネージュして私蔵するためのものが一つ。民間に流れ、それぞれの用途に応じて身につけたり用いたりして楽しまれる民藝に通じるものが一つ。その二つの両極の間に無限の諧調を成して広がるものである。そのいずれもが私にとってはかけがえのないアートである。 あらゆる文化というものは、否定からは何も生まれない。アーティストとはピカソから三歳の子供の作品までを貫く<一寸の虫にも五分の魂>とでもいうべき創造精神の総合的な流れをいうのだと考える。 猿澤恵子さんはそんなアートのさまざまな可能性を狭いジャンルに閉じ込めることなく、いささかも限定を加えずにすべてをやさしく包み込んで精一杯そんな流れを創ってきた人である。 その33年間の歩みの一端が今回の展示ではからずも示された。 主宰の猿澤作品はショールやひざ掛けに用いられるもので、手持ちの豊富なウールを選んで、これを着る人をさまざまに想像しながら糸をかえ色合いを変えて編み上げた作品が10点あまり置かれてあった。 これはギャラリー主催者の瓢吉庵油坊主(神尾博子)作品である。帽子がとてもおしゃれに仕立て上げられていた。 世に猫好きは浜の真砂ほどいるようで、好きさが伝わってくる手触りのリアルな子猫サイズのネコちゃんたちがバスケットに納まっている。以下は門下生の作品群。 敷物(マット)にも、壁掛けにもできそうなしっかりした縫製の毛織物。シープシップの本領を発揮した作品である。 これはギャラリー○○の常設かもしれないが、この展示にそこはかとなくマッチしていた。 ヤシャブシ、キハダ、レモングラス、アカネ草といった身近な山野草や園芸植物を利用してで染め上げた草木染作品。 この普段着となる作品たちもそれぞれ一工夫されているらしいが、着衣や食べ物にそんなに深い関心を持ち合わせていない朴念仁の私には計り知れない雰囲気を漂わせていた。もちろんアクセサリーもいろいろあったがこちらも私には理解が及ばないものたちだ。 私にとって面白いなと感じたものは、いろいろ閉じたり開いたりしていじくりまわして怒られそうになったオナモミを活用した作品だ。マジックテープもそもそも、こうした野草の種子の播種のための構造がヒントになって生まれたものだから、この作品もオナモミのファスナー効果を試したかったのかもしれないと思ったものだ。 以上、ざっと採り上げただけでも門下生たちの作品の生活に根差した多様な想像力と智慧があふれ出た作品群であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年10月21日 09時54分03秒
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