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カテゴリ:ヘテロソフィア・アート
この作家との出会いも随分古い。1995年の震災のあと、ハーバーランドのモザイクにあった阪急ミュージアムでJ-FAS日本キノコ協会の世界初の「キノコ展」の開催を決めたとき、まず九谷焼の茶碗セットを手土産に、当時奈良県の国栖に住んでいた河野甲さんを訪ねた。その時、アトリエの傍らに並んでいた甲作品とは異質な滋子作品に初めてふれて心が震えた。 皮革造形作家の甲さんの腕の確かさは言うまでもないが、滋子作品はアート表現の点でかけがえのないオーラを発していたのだ。 伊賀上野での今回の作品展は、そうした意味でも河野甲・滋子夫妻の表現展として画期的なものであった。 この硬質のかたつむり様の殻につつまれた像は、衣あるいは夜具よりのぞかせた手を頬に当てて思案する人物(おそらくは男性)であるが、私はここに母性を見て、勝手に「たらちね」と名づけたものだ。 同想の滋子作品に以下のものがある。赤子を抱く母子像とも見受けられるが、おそらくこれは祈りを捧げる人物像だろう。こちらも私は勝手に「祈り」と名づけた。 河野甲・滋子作品は、二人で一つの世界を棲み分けており、どうしようもなく不可分なものであった。カルチャーマガジンMOOK本の『きのこ』に毎号DUO展として作品を寄せていただいたのも二人であってこそ響き合う世界がそこにあったからだ。 人間の実存にせまる作品と言ったのは、常々お二人の作品が湛える魂を噛むような孤独なオーラを感取してきたからである。それは以前お伝えした大竹茂夫作品にも通じるオーラでもある。 会場でお会いした河野甲さんは、2人展は今回で最後にしようと話し合ったという。以前にも個別に開いてきたことは多々あったが、この展覧会は、その意味でもお二人の総仕上げの表現展であり、いよいよ河野甲・滋子のわが身ひとつの最期の旅立ちへの予告でもあった。 うれしい一期一会のひとときを賜ったと感謝している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年11月11日 08時34分56秒
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