夢みるきのこ
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私が追い求めてきた微生物・きのこを基調とするアートは、きのこをこよなく愛するアーティスト、趣味人、アマチュアのきのこ人たちによるアート作品であって、何が何でもきのこが描かれたものでないことは自明である。が、それすら現下のきのこ趣味の人たちには理解の外にあるのはきのこの文化というものがまだまだ未熟であることの証しでもある。 次回の「月のしずく」28号ではきのことは無縁であっても私がもっともきのこ人だと思うアーティストを採り上げるが、そこにはきのこは全く登場しない。 要するに私の「月のしずく」に拠る主張とは、きのこ目をもったきのこアーティストの作品であって、20年前ならいざ知らずかならずしもきのこ画に特化した作家ではないのだ。 それはきのこそのものというより、無意味に近いきのこに慈しみにみちたまなざしを注いできた人たちこそが明日の地球を約束すると考えるからだ。 そしてそのまなざしを通して生み出されるアートの中にこそ、地球環境の変化に対するしっかりとした意思が刻まれ、それを伝えうるメディアと考えているからだ。 城戸みゆきさんと同時開催のナカガワ暢さんのJiku(軸)展も、そのよって立つ表現様式は異なっても、私からみれば城戸さんと肩を並べるヘテロソフィア(異なるものたちの智慧による創造)アーティストである。
わか敬愛する文章家・尾崎一郎の『のんきめがね』さながらの飄々とした風貌の暢(Non)さんは、今回「日常生活にアートを」というコンセプトを展開している。
京都新聞のカレンダー、靖国神社とはいささか系統を異にする護国神社・霊山歴史館のポスター、ジャンルを超えた音楽家のCDデザイン、名店のチラシなどなどを手掛け今売れっ子のイラストレーターである。 和歌・今様とレトロモダンなイラストを対比させ、その画風を最適な方法で表現するため、従来の軸制作には避けられてきた素材を用いて掛け軸にした作品群である。 この軸(Jiku)展は、うさぎ小屋と言われてきた狭い日本家屋を飾るにふさわしい取り外し自由なt:掛け軸アートを再発見しようという企画だが、ジャパネスクの核を成してきた京の伝統文化を日常に取り入れようとする試みでもある。 私が個人的にもっとも気に入った軸は、写真上のこの美人画と「夏の夜はまだよひながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ」と和歌が添えられたものだった。 コロナ・オミクロン株の登場でマスコミがさらに不安をあおり、ますます萎縮の度を深めるばかりのお正月に開かれたこの企画展は、アートが国を挙げての経済、文化破壊へとあおる今こそ必要であることを静かに訴えるものであつたことはもちろんだが、この城戸・ナカガワの個性的なアート生活の中に、この先10年の私たちが進むべき道を指し示しているように思えてならない。 会場で城戸さんとも語り合ったことだが、「日常生活にきのこアートを」ときのこアイコンに固執し雑貨制作にいそしむ作家志望のきのこファンは、それぞれのきのこへの思いを一過性に終わらせないためにも、せめて我が国の伝統紋様に位置づけられるようなテキスタイルデザイン感覚にみちたきのこアイコンの創出をお願いしたい。 大麻草の葉を伝統紋様(写真下)にとどめえたお陰で大麻草が我が国古来よりの生活に密着した産業のたまものであったことが証されたように、感性ゆたかな作家の仕事としてきのこ紋様をぜひ様々に充実させていただきたい。なんとなれば、あらゆる文化普及の原点は、自然に生活に取り入れられるアイコンから始まるからだ。
ナカガワ暢さんの「茸」文字をパターン化した紋様の手ぬぐいや城戸さんのシイタケのヒダを大きくあしらったバッグなどを大いに参考にしながら。
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