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カテゴリ:マダラーノフの独り言
五劫という気の遠くなるような時間、魂の救済について考え続けてきたという五劫思惟佛。 虚無を突き詰めて空(くう)に向き合った仏教は、一神教の論理からどうしても脱却しえない西洋哲学の人間学・実存主義を超えて、大乗仏教を招来した。それは個人の内面の考察からはみ出して他者という外部に目を向けた場合にただちに齟齬をきたすことからサルトルは社会主義・共産主義へと接近していった。仏教はそれとはまったく異なる地点から法相の瑜伽唯識を経て他者の問題に切り込んでいった。大乗仏教とは、いやおうなく関係づけられてきた他者の問題とどう向き合うかに尽きるのだと私は考えている。 実存主義哲学は東洋の唯識思想に相当する。個人の内面の問題にのみ有効な思想である。西欧流の進歩思想とは本来的に無縁の大乗仏教は、人の心は如来を蔵しているという如来蔵思想を生み出し、ひたすらに善を希求・実現していく実践哲学として他者の問題に向き合い、菩薩行(ぼさつぎょう)を提示した。 そしてさらに重要なことは、大乗の精華である天台の「十界互具説」では地獄から天人、仏の世界に至る十界に住するものもすべて、地獄から仏までの心を等しくあわせ持っているとしたことだった。そこでは仏でさえ地獄人同様の念を持っているということなのだ。十一面観音というアイコン(図像)は、その表現ではないかと思っている。 私はこの十界互具説の徹底した自覚なしに如来蔵思想は成り立たないと考えている。 私のいう「ちょっと背伸び」とは、多頭獣のような自分に無自覚な人たちすべてに対する最低限の倫理はその行為にこそ胚胎するとみてきたからだ。「ちょっと背伸び」を忘れ、自分を見据える自覚的な視点を失った人たちこそがポピュリズムの暴走や覇権主義の横行に組すると考えている。 西欧近代の普遍主義が機能不全に陥り、それにかわる新たな思想の兆しとて見えなくなり覇権主義にすがるほかない出口なしの世界へと突進しているのが現在である。 おそらくそんな流れを変える即効性のある思潮や処方箋はない。そんなことは先刻ご承知だとしたうえで如来蔵思想や菩薩行思想を持ち出してきたのが大乗仏教なのである。 そこに近代が置き去りにしてきた死者と霊(スピリチュアル)な問題を採り上げ、新たな提案をしてきているのが仏教学から哲学全般へと深化を続ける末木文美士(すえきふみひこ)氏である。 出来立てほやほやの朝日新書の著書『死者と霊性の哲学』では、コロナに始まり国政の問題、憲法の問題にも触れ、欠如してきた死者と霊性の世界からの近代の脱構築を提案している。 父の遺志を受け継いで細々と続けて来た「大戦殉難異民族慰霊」の核心部分に触れるこの問題も、きのこという永遠の他者に出会って他者というものの本質に触れた私の終生の課題である。 この世とあの世の境を自在に行き交うアゲハの心を持ちうるか否か、残された時間は短い。それでも希望をもって「ちょっと背伸び」の鱗粉や胞子、総じて月のしずくを振りまいていこうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年02月06日 12時11分58秒
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