月夜のきのこ ウエブより
遂に起きてはならないことが起こってしまった。
ペレストロイカ以降に独立したロシアの共和国の中でも、ウクライナはロシア建国のルーツに当たる共同体で、独立後ひたすらロシアより離反していき近年核開発の力で急速にNATOへ接近していくウクライナに対して、プーチンをはじめロシア政府首脳部の潜在的な嫌悪感には激しいものがあった。
しかし、すでにウクライナは主権国家であること。そのウクライナに対して属国的な差別意識をもって戦火を浴びせたロシアの暴挙は一挙に世界を20世紀初頭の時代に逆戻りさせるものでしかなかった。これまで営々と築き上げてきた人類の平和を志向する文化の総体を決定的に壊滅させたしまったプーチンの責任は大きい。
これは、あきらかにウクライナを舞台にNATOの背後で糸を引く欧州・アメリカとロシアの代理戦争である。窮鼠と化したプーチンに対してNATOはウクライナを加盟させることは見合せるだろうし、世界の紛争を牽引してきたアメリカは今回はじめて他岸の火事として眺められるポジションを得て、戦局がいずれにころんでもアメリカに莫大な利益をもたらすと読んで静観を決めている。また尖閣、台湾問題、東シナ海を視野に入れた中国は今その経緯をかたずを吞んで見守っている。
核兵器保有開発の事実に基づきフセインがヤリ玉に挙げられ殺された後にそんな事実はどこにもなかったことが証明されても誰一人ブッシュに責任を取らせることはなく反対に暴君を殺した英雄として賞賛されて終わったこともその根の部分は覇権主義のエゴであった。
9.11以降、同盟国のよしみでその片棒を担いで、さらにあやかしの正義で一国の指導者を殺した罪を追求することなく黙殺したのはほかならぬ私たちではなかったか。
ロシアのウクライナ侵攻は、湾岸戦争以後アラブ世界でアメリカが行ってきたことの裏返しであるが、私たちが永久に根絶すべきはただ一つ。覇権主義国家の正義の名のもとに行われる大量殺戮である。
時代錯誤も甚だしいプーチンは戦局がロシアによるウクライナ併合に終わったとしてもすでにその政治的な命運は尽きてしまった。
ウクライナ問題で、最終的にアメリカのしたたかな挑発に乗ったロシアのプーチンの愚行はゆるされるべきものではないが、そのためにおびただしい数のもの言わぬ民間人さらに野生生物が殺されてしまった事実を、弱者である私たちはもっと深刻に受け止めるべきだ。
いにしえより神政国家としてスタートした我が国は、天皇とナショナリズムが同一視された明治以後敗戦までの100年弱は例外として、その反省の上に立って現下の世界潮流とは別の道を歩んできたことを一日も早く打ち出し、現下の世界の中で独自の展望を示すべく、それを天皇の古代史から読み解いていく作業を続けてきたが、「月のしずく」では、東洋のガラパゴス・日本の特殊性こそが21世紀の地球を持続可能なものにする智慧を蓄えてきたことを「異」すなわち他者の問題とからめて論じてきた。
38号に引き続きその真意のほどを戦時下の世界へ贈る特集号としたい。