夢みるきのこ
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十六島(うっぷるい)湾の風車公園を岬越しにみる河下港 神武東征の真実を探る旅で記紀の神代記の検討をはじめると、30数年目にしてようやく出雲世界の土地の記憶に触れる必然性が出てきたので急遽車を飛ばして出雲中を走り回ってきた。この旅で真実驚いた神社が韓竈神社(からかまじんじゃ)だ。 ガイドマップで見ると出雲大社のすぐ近くのように見えたので楽勝気分で訪ねたが、それは出雲大社から宍道湖へ向かう道路から北上して山を越え日本海にひらけた河下港に出てそこから谷筋を走る県道を山間部の唐川地区へと遡っていったところにあった。
唐川地区からはさらに、度々通行止めになっては一時的に解除されるという林道を唯一ミツマタの花かがりを頼りに励まされながら登っていく。 鳥居前の渓流にせり出した岩船石 鳥居が見えたのでホッとして神々が降臨した岩船石の小滝のある車止めで車を置いて鳥居の前に立つと拝殿も神殿もどこにも見当たらない。 『延喜式』にもその名を留める式内社にしては異色の神社である。 鳥居脇のきのこ石にたずねると、この石段をひたすらのぼっていけば必ず到達するという。 それでようやく安心してヒキガエルのぐぇぐぇ鳴く声を聴きながら小流れに沿ってつけられた参道をひたすら登っていくと大岩を回り込んでさらに登りが続き鉄の手すりが見えてきた。結局石段を300段あまり上り詰めたところで行き止まりになってしまった。 その先は手すりもなく苔むした崖っぷちをよじ登るのかと躊躇して帰りかけたが、その時大岩の割れ目が目に入った。 なんとか割れ目をすり抜けて撮影 体一つ横にしてやっとすり抜けられる大岩の隙間をなんとか擦り抜けると小さな窪地が現われそこに岩窟がふたつ口をあけていた。 そのひとつが社殿に充てられていた。 霊気のただよう小祠の前には餅の代わりに石が積まれ、酒が数本そなえられていた。 ひとつ尾根を隔てた谷筋には神宮寺に当たる鰐淵寺(がくえんじ)があり、その寺と同名の鉱山がある。かっては、この山々全体に自然銅の鉱脈が広がっていたのであろう。韓竈神社といい鰐淵寺といい十六島湾といい、渡来系の地名をとどめるこの地は、山林修行者が鉱山師を兼ねていた時代を彷彿させる行場を兼ねた神社。その神社の祖型が見られていささか興奮した。 こんな神社は私の旅でも稀有なものだが、これまでの聖地のきのこを訪ねる旅を一区切りつけるために訪れた出雲の主要地点をこれからここで紹介しておきたい。
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