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カテゴリ:きのこ目の日本史
普済寺より眺めた天宮山(=天狗山。左端手前)と須我山(右奥の開けた立ち木の山) 天空山の麓にある熊野大社は、出雲でもっとも重要な聖地。丹生都姫神社の天野のところで述べたように熊野は"くまくましき野"(=奥まったところにある野の意)で、和歌山の熊野大社とは無縁の古社。 祭神はいざなぎの正嫡・櫛御食野命(くしみけぬのみこと=すばらしい食べ物を授けてくれる神の意)で素戔嗚と同一神とされ、本来はその名の示す通り農業神であったと考えられる。 天宮山と熊野大社の間を意宇川が流れ、意宇平野を抜け宍道湖へとそそぐ。 熊野大社拝殿 出雲には大社とよばれる神殿が2つあり、ここと出雲大社がそれである。 この熊野大社が出雲の中核神殿であることは、出雲大社の国造家(代々出雲大社千家宮司がつとめる)が毎年長餅を手土産に自ら参向し、火鑽神事(ひきりしんじ)の神具をここの鑽火殿より借り受け出雲大社へと持ち帰り11月23日にそれを用いて火を鑽り出し神々と共食することにより霊威をあらたにする古伝新嘗祭として斎行されてきた。火は霊(ひ)であり、霊継ぎ神事とされてきたものである。 熊野大社は本来上下二宮からなり、現在は下社に統合されたが、下社から数百メートル意宇川をさかのぼったところに上宮址があり、かっての祭神が石柱で残されている。 上宮址のこの脇から踏み分け径を登ると天宮山の遥拝所がありその直下の崖には眼病や母乳の出に効果があるとされる明見水が石清水の滴りを受けて溜められている。 国引き神話のフィナーレの地・意宇は出雲でももっとも重要な創生神話の地でその中核となるのが熊野大社なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年03月27日 10時39分10秒
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