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2022年03月28日
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カテゴリ:きのこ目の日本史

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 素戔嗚が高天原より天降ってなぜか斐の川の川上で脚摩乳(あしなづち)、手摩乳(てなづち)に出合い稲田姫を佐草の森に八重垣を築いてお隠しになりおろち退治を果たしたと伝わる八重垣神社がある。

 あしなづち、てなづちを応神霊と稲荷霊とともに祀っている

 この脇社には出雲古来の石神(金精様)も残されている。

 大社造りの神殿の背後には佐久佐女の杜が広がり、稲田姫の飲料水と姿見の役目を果たしたと伝えられる鏡池があり、参詣者たちには京都の貴船神社と同じく水占いが用意されていて縁結びの神として今に伝えられている。
 八重垣神社は方々に椿の木が茂っているのでツバキノキンカクチャワンタケを探したが、あまりにきれいに整備されているせいか見つけられなかった。そのかわりに佐久佐の杜の杉や椿の樹下にはおびただしいアシナガクヌギタケが顔をのぞかせていた。
 おろちを退治した素戔嗚命が稲田姫と夫婦となり、住まうところを探し、ああすがすがしいところだと気に入り、須我の宮を建てたと伝わるところが出雲の熊野大社からさらに奥へ入った須賀川のほとりにある。日本初之宮といわれる所以である。

 また、ここで「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」と初めて三十一文字を残されたことから和歌発祥の神社とも言われている。

 須我神社にも縄文以来の豊穣多産のシンボルである金精さまと思しき石柱が祀られてあった。



 そこからさらに車で2kmほど奥へ入った八雲山の中腹には磐座があり、大小3つの岩が抱きあうように並んでいることから通称夫婦岩と呼ばれ親しまれてきた。ここは須我神社の奥宮とされている。熊野大社の天宮山のところでお話した須我山がこの磐座のある八雲山である。

 素戔嗚の関連地でもうひとつ重要なところが出雲大社からはるかに広島方面へ30分ほど車を走らせたところにある。
 それが出雲市の奥処・須佐の地にある須佐神社だ。​​​この地こそが記紀神話はさておき、この地を本拠地として出雲を支配した首長で須佐の王たる素戔嗚命であろう。

 この須佐神社は日暮れ間近に訪ねたのでくわしい話は聞くことができなかったが、神社鳥居正面の南には末社の天照社が向かい合ってにらみを利かせており、神社配置がとても面白く感じられた。

​ この神社脇を流れる神門川のずっと下流に立久恵峡があり、さらに斐伊川へとそそぎ島根半島西端の出雲大社へと続く。​ ​






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最終更新日  2022年03月28日 23時38分51秒
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