夢みるきのこ
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意宇の杜 記紀神話にはなく出雲風土記にのみある出雲国引き神話の舞台は、出雲東部の意宇地方に集中します。それは、出雲のそもそもの祖神にあたる八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと=古事記に出てくるおみづぬのみこと)が、鳥根の東の大山と稲佐浜から望む西の三瓶山をてこにして朝鮮半島の新羅や隠岐や北陸の余り地を引き寄せて国土を創成したという雄大なものである。飛行機も気球もない時代に列島における出雲の位置関係をしっかり把握していたことは裏日本各地と相当頻繁な交流があったことに証しでもあります。 その国引きを無事終えて「やったぜベイビー・意宇(おう)」といったことから地名となったとするものです。この意宇の杜がタブノキを含むこじんまりした杜として出雲東部の意宇川の近くの畑の中に残っています。 意宇の杜付近から東の大山を望む 出雲大社近くの稲佐の浜の弁天岩。晴れていれば西の彼方に三瓶山が望めます。 古代の国衙の所在地の六所神社 その意宇の杜近くに六所神社があります。ここは大和が出雲を併合したあと国府の置かれたところで古代出雲の政治の中心地であったところ。出雲国造家の本拠地でもありました。 出雲の神社はそれぞれ神紋があり、神有り月の十月を現す二重亀甲に有(十+月)文字が六所神社の神紋で、次に紹介する眞名井(まない)神社、そして神魂(かもす)神社も、そしてさらに現在では二重亀甲に剣花菱紋がもっぱらとされる出雲大社もこの神紋であるとされています。前回紹介した熊野大社、八重垣神社、本日紹介する六社神社、眞名井神社、神魂神社、揖屋神社と合わせこれらは国造家と関係の深い意宇の六社とされ、江戸時代には六社まいりがひそかなブームになっていたようです。
この六社神社の社地から発掘された国府跡からは北の方向に、この地の神奈備である茶臼山が眺められ、その麓には眞名井神社がありその近くには眞名井の滝が流れています。
眞名井神社 神魂(かもす)神社 さらにその東部の熊野大社との中間地点の山際には神魂神社があり、六社のうち五社までが意宇平野の西部にひしめいています。
一方、揖屋(いや)神社は意宇平野の東端の松江市に近く位置しており、こちらは伊弉諾(いざなぎ)がほうほうのていで逃げ出してきた黄泉比良坂(よもつひらさか=伊賦夜坂いふやざか)の近くにあり、神紋は出雲大社と同じく二重亀甲に剣花菱紋です。 ここが伊賦夜坂(黄泉比良坂)。かって映画のロケ地となったらしく看板が大きく掲げられていました。 その黄泉の国の入口比定地の脇のため池からさらに小径が続いており、その奥の分岐には賽の神が祀られていました。 出雲は神政国家である我が国の最初のモデルとなった地で、出雲を深耕すれば、我が国固有の宗教文化の真髄が理解できるという私の確信は当たっておりました。「月のしずく」次号39号ではそんなあたりを中心に述べてみたいと考えています。 また「夢みるきのこ」では、次回はそんな出雲の宍道湖の向こう側の島根半島部の事情を紹介します。
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